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2011年7月29日金曜日

テレビの記憶

小学生時分にテレビが一気に普及したことで、子供達の生態が大きく変わった。皆、外に出て遊ばなくなり、テレビの前で日に何時間も過ごすのが当たり前になったからである。我々が、「テレビっ子第一世代」といって間違いなかろう。

テレビの他には、洗濯機や冷蔵庫が次々に導入され、生活が一変した。

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小学校に入学した当時、テレビは全く見かけなかった。それがまもなくして、裕福な家を中心に入り始めてきた。物珍しさから、どの地区でも近所の老若男女が大挙し、テレビのある家に詰めかけたようである。拙者は近所の子供らと一緒に、近所の台湾先生のご自宅に押しかけ、大相撲をよく観戦させてもらった。初代横綱若乃花が大活躍していた時分で、他には横綱朝潮とか大関北葉山を思い出す。当時は、大相撲の人気が圧倒的で、応援に熱がはいったものである。その後、大鵬・柏戸の若手関取が台頭し、白鵬時代を迎えて最高潮に達した。拙者は、白鵬相手に果敢に挑戦する佐田の山関を応援したものである。


その頃には、小学校の職員室で見るようになっていた。たぶん週末だったのであろうか、教職員は顔馴染みの用務員のオジサン以外誰も居らず、気軽に近所の人たちが集まり、大相撲の大勝負に一喜一憂したものである。兎に角、テレビ黎明期には、拙者の知る限り、大相撲番組を抜きには考えられない。

ある日、小学校から帰ると細浦の原田電器店のオヤジさんが居間に座っていた。我が家でも、いよいよテレビを購入することになったのである。値段は良く知らないが4-5万円位か、当時の大卒初任給が2万円前後であるから、未だ高額だった。この時拙者、NHK朝の連続ドラマ小説第一作「娘と私」を見ているので、おそらく小3であろう。東京オリンピックが開催された小6の頃までには、驚くことに、殆の家庭にテレビが入っていた。


それ以前の家電製品と言えば、裸電球、ラジオ、アイロン位しかなかった。テレビの後は、冷蔵庫と洗濯機が次々と一般家庭に普及していったのは、末崎においても例外ではなかった。これによって、タライの手洗い労働から女性を解放し、生魚や生鮮食品の長期保存が可能になり食生活が大幅に改善することになる。これが戦後の高度成長期のことであった。

我が家にテレビが入ってからは、当然お気に入りの番組を毎週欠かさず見るようになった。子供の柔らかい頭には、一週間の番組表がすっかり記憶されていた。しかし番組の優先権は親が持っている。特に7pmNHKニュースだけは絶対で、拙者これには弱った。というのは、同じ時間帯の民放に、見たい番組が多かったからである。時々7pmになったことを気づかれず、シメシメと思いながら民放裏番組をシラバクレて見ていたものである。

参考までに、これらの懐かしい番組を思い出し、必ずしも放送された時代順ではないが、以下に列挙しておく。当時は、アメリカの西部劇やドラマが結構人気があったので、先ずは其れ等から紹介する。


小学生時分のお気に入りTV番組(昭和36-39年頃)

アメリカの番組:
ローン・レンジャー、ララミー牧場、ライフルマン、サーカス西部を行く、モーガン警部、ちびっ子大将、名犬ラッシー、コンバット

日米アニメ番組:
ポパイ、トムとジェリー、鉄腕アトム、鉄人28

民放番組:
快決ハリマオー、少年ジェット、琴姫七変化、隠密剣士、少年ケニア、白い恐怖のミイラ、てなもんや三度笠、スチャラカ社員、三匹の侍、姿三四郎

NHK番組:
チロリン村とクルミの木、ブーフーウー、ポンポン大将、お笑い三人組、おはなはん、バス通り裏、赤穂浪士、時間よ止まれ、ジェスチャー、それは私です、私の秘密、魔法のジュウタン、みんなの歌、のど自慢、紅白歌合戦

スポーツ番組 (拙者のお気に入り順)
大相撲、プロボクシング、野球、プロレス
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以上、4年間で良く見た記憶に残っている番組であるが、それ以外に忘れているものがあるかもしれない。

小学生ではあるが、当時のテレビ・ニュースも良く覚えている。海外では、米ソ人工衛星開発競争、ベトナム戦争、キューバ危機、そして最も衝撃的だったのはケネディ大統領暗殺事件であり、国内では何と言っても「吉展ちゃん誘拐殺人事件」である。誘拐犯からの電話録音テープがテレビで何度も流された。他には新潟地震、鶴見駅脱線事故。悲惨な炭鉱落盤事故ニュースも時々あった。

6時の東京オリンピックは連日ライブで放送された。開会式、三宅選手の重量挙げ金メダル第一号、水泳、100mのヘイズ選手、マラソンのアベベ選手、そして閉会式の模様が忘れられない。アベベ選手の走るマラソンだけは、小学校の講堂に集まって授業の一環として見たようである。拙者、途中興奮した訳ではないが、鼻血が出てきて一時退席した。


以上が末崎テレビっ子第一世代の、言わばテレビ番組記憶のレパートリーである。若い世代の方には、「みんなの歌」、「のど自慢」、「紅白歌合戦」以外は知らないであろう。それも当然である。当時の番組は、記録用フイルムが高価だってせいか、アーカイブとしてあまり保存されていないようである。何年か前に「コンバット」を何週かにわたりBSでまとめて放送されていた。さすがはアメリカと感心したものである。

テレビ、洗濯機、冷蔵庫の無い暮らしは、今では想像できない。我々は、その想像できない暮らしを体験している、最後の稀有な世代でもあるようだ。だから、国内総発電量の30%を占める原発が全廃されたとしても驚くことはない。テレビ、洗濯機、冷蔵庫、それとパソコンを動かせるだけの電力は十分あるだろうから。

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