自動車の普及に言及したが、この契機となった岩手国体の頃を思い出したい。
EXPO70、大阪万博が列島を連日沸かせた。国の高度経済成長を世界に顕示する象徴的なイベントとなった。閉幕後まもなくして、岩手で国体が開催されたのである。これは県民にとり、万博同様に、忘れられない象徴的な出来事となった。他の地区も同様と思うが、気仙においては大会前後で道路事情が一変したからである。
末崎には、現在と同様に、大船渡-末崎-陸前高田と、細浦-碁石を結ぶ二つの幹線道路があった。当時は、いずれも道幅が狭く、曲がりくねった砂利道であった。大会には皇室の宮様が訪問されるとかの噂のなかで、開催日が迫るにつれて、きついカーブは緩められ、道幅が広げられ、脇には側溝が設けられ、そして舗装化されたのである。自家用車は未だ多くはなかったが、これで車の普及する環境が整ったのである。大会そのものは岩手が総合優勝とインチキ臭い結果で、特に祝った記憶もない。道路事情が大幅に改善されたことだけは、強烈な印象として忘れられない。
道路事情が悪かった当時、我々の行動半径は極端に狭かったもので、湾をへだてた赤崎の対岸に一度も行ったことがなかった。親戚を訪問するために、盛(大船渡のバスターミナルがあった)から釜石までバスに乗ったことがあるが、4時間かかった。林道のような狭い曲がりくねった砂利道に沿って、半島を一つ一つ越えて行くのだ。交通量は少ないが、たまに対向車があると悲惨だ。その都度山側の車が待避所までバックし、対向車をやり過ごさなければならないからだ。ノロノロ走るバスを追い越せない後続の車が何台も連なっている時は、これらも一斉にバックしなければならないから余計大変である。こんな道が国道だったとは、後で驚いたものである。現在は、障害となっていた半島の山塊をぶち抜いたトンネルのおかげで、1時間程度で行ける様になったのは隔世の感がする。
都道府県数が47。順繰りであれば次回もソロソロかとネットで調べてみたら、2016年となっていた。しかし中止!! 状況が状況だけに、この決定も致し方ない。
当時、末崎では軟式野球が開催され、末中隣の市営球場がその主会場となった。決勝戦だけは覚えている。軟式の特徴なのであろうか打球のイレギュラーが少なく、互いの好投・攻守でなかなか点が入らず、翌日再試合となった。当然、高校の授業はサボり、ゲームの行方を見守った。翌日、僅差で勝敗が決したが、どこの代表チームだったかは覚えていない。どうでもよい。
現在、その市営球場は、仮設住宅地に供されている。
市営球場の仮設住宅街
四年前の夏の町内草野球大会
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