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2011年6月18日土曜日

震災後もブログで発信し続ける<鮮魚シタボ ママ日記>に触発されて

3.11の震災後にメールでコンタクトがあった、同じ地区出身で末中の後輩というY君が、拙者を訪ねて来た。6歳下の妹と同級生ということで、拙者のことを知っているらしいが、こちらは全く知らない。勤務時間中のことでもあり、仕事の押し売り?もあり得るなと多少用心したが、全くの杞憂であった。
近所のカフェーで話し込むこと数時間。年代は違っても、高校まで同じコースをたどっており、共通する話題が実に多かった。その後、軽く飲食し、別れたのが11pm頃だった。
そのなかで、末崎のことをブログで発信し続けているY君の同級生が居ることを知った。嫁ぎ先の「シタボ」という屋号を聞いて驚いた。拙者の同級生の経営する鮮魚店であったからである。しかも、今回の津波で被災しているのである。

翌日、検索してみたところ、「末崎町」だけではトップ画面に表示されなかった。「鮮魚店」を追加してみたところ、先頭行に<鮮魚シタボ ママ日記>のブログが確かに表示された。初投稿が2005923日。ブログが何たるかあまり知られていなかった6年も前のことである。それから、コツコツと投稿している。女性らしく、お花とかグルメの写真が多い。中には、拙者にとっても懐かしい土着料理のレシピとか、今では廃れたと思われる田舎の家内行事を今でもやられているとか、貴重な情報を発信している。そしてまた、今では地上から完全に消滅してしまった懐かしい田舎の風景写真も掲載されていた。

3.11を境に、彼女の運命は一変した。店舗・家屋を消失し、ブログの操作を教示?してくれた当時二十歳の愛娘さんをも失ったのである。その後は、町の被災・復興情報、避難所生活等を、携帯電話から気丈にも発信続けておられる。

拙者も田舎の支援復興に多少なり協力できればと、ホームページでの発信を考えていた。しかしながら、手元には十分な素材が揃っていないこと、HP制作用のパソコン環境が古くディスプレイも狭く、かつMacクンの電源が最近怪しく、修理部品も調達できないらしいこと、等々見合わせていたのである。

そんなことで、<鮮魚シタボ ママ日記>に触発され、素材集めも兼ねてブログを始めることにした。

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