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2016年5月29日日曜日

野球ルール改正私案 - フルカウント2ボール・2ストライク制の導入 (但し…)

メジャーリーグで、試合短縮を目指すべく、ストライクゾーンを狭める案があるらしい。
仮にこれが実施されれば、国内にも影響が及ぶであろう。投手にとっては死活問題にもなりかねない。それでなくても、投手には次々と不利な条件が押し付けられている昨今である。

具体的には次の通り。

1. 低反発球が導入されたにもかかわらず、またぞろ元の飛ぶボールに変更…
2. メジャーリーグの球場を真似た、内野ファウルゾーンにエキサイトシートが設けられたこと
3. 最近では、ホームランテラスを設けた(福岡ドーム)ことで、ホームラン数が倍増
 (これは、インチキホームランと言わざるを得ない…)

高校野球は平均2時間前後らしい。一方、プロ野球は3時間17分前後と遥かに長い。レギュラーシーズン中、毎日これを観させられたら堪らない。女性ファンも増え、一野球ファンとして嬉しい限りだが、よりキビキビしたゲーム運びが出来ないものか。そこで考えてみた。

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「フルカウント2ボール・2ストライク制の導入案」 (但し…)


フルカウントが現状3ボール・2ストライク制だが、これを2ボール・2ストライク制に変えてみたらどうだろうか。このままでは投手には不利である。そこで一計、2-2フルカウントで、次の投球で打者がファウルしたら、カウントを1-2に戻すのである。この特例は、フルカウントの時にだけ何度も適用されるものとする。(バレーボールやテニスのデュース制に似ているとも言えよう…。)

これで、ゲームにどのような化学反応が起きるであろうか。

反応1. -
先ず、初球ストライク狙いで投げざるを得ないこと。現在の3-2フルカウント制では、2球目まで平気でボールを投げるケースが少なくない。強打者に対しては、結局そのまま敬遠気味の四球で歩かせることが多い。これは時間のムダである。

反応2. -
2ストライク先行で打者を追い詰めた時に、3球目勝負のケースは稀で、1-2球クセ球で遊ぶことが少なくない。コーチから勝負を急ぐなと強くアドバイスされていることも一因であろう。2-2フルカウント制であれば、このような遊び球も少なくなる。

反応3. -
フルカウントで、打者がファウルすれば、現状のルールでは2-3フルカウントのままである。これでは詰まらない。2-2フルカウント制では、ファウルした打者へのペナルティとして、1-2カウントに戻す特例を設けることで、投手有利な状況に変わる。10球以上も連続ファウルで粘られることは少なくなるであろう。


兎に角、2-2フルカウント制の下では、一球一球の重みが増す。

以上、現状よりムダ球が少なくキビキビした試合運びになることは間違いない。
是非一年間、試験的に実施してもらいたいものである、野球の未来の為にも…。


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他のスポーツでも、ルールを僅かに変更しただけで、随分スピーディになったケースがある。それはサッカー…。

Jリーグが始まる以前、国内においてはマイナースポーツだった。世界で一番人気のスポーツがサッカーと言われていたものの、正直信じられなかった。むしろこれほど詰まらないスポーツはないと思っていたくらいである。如何せん点数が入らない。消極的なパスばっかりで、組織的な連動がみられない。最後はお決まりの、ディフェンダーとゴールキーパー間でボール交換の時間稼ぎ。そしてゲームセット。野球のような最終回のスリリングな攻防は見た記憶がない。サッカーに対して、先ずはそんなイメージだった。

それが、Jリーグが始まると、それまでのイメージが払拭されたのである。その一因は、ゴールキーパーへのバックパスが禁止されたからと思っている。

それまでは、自陣で危なくなるとなにかとゴールキーパーにバックパスで逃れ、ゲームの流れが途切れてしまったものであるが、それが出来ない。当然、攻撃的にならざるを得ない。ゲームがダイナミックに動き出したのである。

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バスケの3ポイントシュートも比較的新しいルールである。以前なら、リング下を固めておけばよかったが、3ポイントシュート制の下ではそういう訳にもいかない。よりダイナミックな守備隊形が求められる。

今、NBAはプレーオフのセミファイナルであるが、BSの深夜帯にもかかわらず、起き観ている。私自身、高校ではバスケ部に所属していた。プレーするのは楽しかったが、人様のプレーを観る点ではそれ程魅力を感じなかった。野球ほどのドラマチックなものを感じなかったからである。

それがNBAのバスケを見て、払拭されたのである。15点リードならおおよそ安全圏であるが、NBAでは一気に追いつかれるケースを何度も目撃している。3ポイントシュートが連続して決められるのは圧巻である。100点ゲームでも、その差数ポイントで勝敗が決することも少なくない。3ポイントシュート制の導入により、ゲームがよりダイナミックに変貌したと思わざるを得ない。

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ストライクゾーンを狭めたり、球場を狭めたりする姑息な手段では、野球はむしろ詰まらなくなる。

むしろ基本的なルール改正、即ち2-2フルカウント制で、よりダイナミックなものにする、というのが当方の提言である。


野球関係者の方に注目してもらえるとよいのだが…。

2016年5月5日木曜日

碁石観光祭、そして地球温暖化…

半世紀前の碁石観光祭の写真が出てきたのでアップする。

碁石の広場周辺 

1959年4月29日(推定)


当時は、毎年429日が観光祭(カンコウサイ)の日だった記憶がある。ちょうどその時期は桜が満開で、碁石の広場周辺には桜の木が多く、絶好のお花見スポットになった。

当時は、今ほど桜の木は多くはなかった。例えば、末小グラウンド周辺の桜。当時は幼木だったが、今では斜面の土砂の流出を抑えるべく、地に根をはり逞しく育っているのには驚く。3.11の震災後、想い出アルバムの制作を行った際に皆から写真を提供してもらった。その中に桜の満開の細浦駅の写真があったが、これも意外である。半世紀も経てば、木の幹は相当太くなるようだ。
そういえば、五本松の松林も今では大木になっているが、半世紀前は一部ハゲ山状態で、松は殆どが幼木だった。

木々の成長は、一見ゆっくりしているようでいて、実は早い。畑の中の小道が、耕作放棄されて誰も通らなくなると、知らずに木々が成長し、廃道になっていく。

話を観光祭に戻すが、当時は、定期バスの便はなく、また砂利道で、観光地化されておらず、何時もは静かな景勝地だったが、観光祭の時だけは、今では信じられない位大勢の花見客が殺到したものである。人数は定かではないが、「1万人」といっても大袈裟ではない。その日に限り、臨時バス便が相当繰り出されたもので、細浦駅や大船渡方面からやってきた。途中の停留所から乗ろうとしても既に満員で乗れず、何台目かでやっと乗れる有様だった。碁石の車道脇スペースには、100メール位にわたり、乗用車、三輪車、ジープ、トラック等、様々な車種が横列駐車しているのは、自家用車が一般的でなかった時代だけに、物珍しかった。

桜の木々がまとまってあるところは市内でも珍しく、また景観は抜群。広大な松林や岩場にそれぞれ敷物を敷いて、あちこちで宴会を楽しむ。TVも無い、クルマも一般的ではない、言わば娯楽の少ない時代。家族や職場の仲間でやってきた。当時は若い男女が街場で公然とデートする雰囲気ではなかったので、観光祭は格好のスポットだったようで、アベック(当時はカップルと言わない…)でもやってきたようだ。東北の長い冬が明け、春の到来を一斉に謳歌した。

家族でお花見…

海を見つめるアベック…



現在は「碁石観光祭り」となって続いている。だが、開花時期は相当早くなっているようだ。今年は44日に開花宣言されていた。半世紀で、開花時期が2-3週間早まっている。ということは、確実に地球温暖化が進んでいるということか…。

これも何ら不思議ではない。あの頃は、まだ生活様式は戦前に近いものがある。自家用車は普及しておらず、皆結構歩いていた。家庭では、石炭・石油の化石燃料は使用しておらず、薪や炭・練炭が一般的であった。

その後、高度成長期に入り、代々利用されてきた、言わば持続可能な周辺の山々で採取される木質系燃料を捨て去り、海外からの石油、言わば有限資源に依存するようになってしまった。今は皆、移動は自家用車。歩く者はマレである。そして、周辺の山々は荒れるにまかせ、畑は殆どが耕作放棄地に。身近にあった水田も、末崎町においてはほぼ全滅状態…。

僅か半世紀で、桜の木々は大木に成長した。一方、我々の生活様式は、目先の便利さに飛びつき、気づいた時には伝統を捨て去り大転換してしまっていた。今日の大量消費の経済、果たして持続が可能なのであろうか。

開花宣言が3月に出されるのも遠い将来ではなさそうだ…。