田舎に何日も滞在したと思われるであろうが、実際は3泊し4日目に上京した。
午前中に小細浦の入江と中学校の様子を自転車で見て回り実家に戻る。一ノ関行きのバスが盛発1:30pm過ぎ。実家から盛のバス停まで、輪行の自転車で行く。余裕をもって早めに出発する。
末崎から盛へ
途中、細浦地区の中野バス停付近で写真を撮る。この付近は大船渡線の堤防で大丈夫だろうと思ったのだが、陸橋下の国道に沿って侵入した波で何軒か流されている。
中野の停留所付近から大船渡線の陸橋
峯岸の同級生宅にも立ち寄り、「復活アルバム」の件を話し写真の提供をお願いする。42の本厄の年に制作した立派なアルバムを見せられる。初めて見てた訳で、拙者注文していなかったようである。次の帰省時に全頁をデジカメで撮影し、「復活アルバム」に収録しようかと思う。
盛でバスに乗る
津波はJR大船渡線の終点盛駅付近まで達しており、3月の帰省時には周辺のお店は休業していた。駅より上流側では流失家屋は無く、復旧は早かったようである。
お隣の陸前高田では6km程沿岸から離れた竹駒・矢作地区も、気仙川を遡った津波により大きく被災している。一方、盛地区は湾奥の岸壁から僅か数キロしか離れていない。平坦で大船渡市の行政地区でもある盛市街の中心部はなんとか無事であったのは、大船渡湾の独特の地形によるものと思われる。
大船渡湾・広田湾付近のマップに、両市中心部の被災エリアを示しておく。
大船渡湾は右上方に曲がり、また狭い湾奥には珊瑚島がデンと構えている。
この地形により、津波のエネルギーが減衰したものと思われる。
4ヶ月前に津波に襲われたとは思えないサンリア前のバス停で、自転車を折り畳む。一ノ関行きのバスは、日に二本の運行で、早朝に一本そしてこの時間であるが、乗客は僅か3-4名と少ないのは意外である。
通岡トンネルへの上り道から大船渡湾を一瞥する。船河原地区の集落が下に見える。この地区の海岸沿いには大船渡線の堤防があり、何件かの流失はみたものの、隣の細浦地区に比べ被害は遥かに少なかった。津波の巨大さを考えたら、奇跡的である。大船渡線の開通は昭和10年前後であるが、付近の堤防は破壞されておらず、当時の土木技術の確かさを再確認する思いがする。
奇跡的に被害の少なかった船河原の集落
自動車専用道のトンネルを抜けると、そこは陸前高田市である。
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