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2011年7月11日月曜日

津波と原発問題

翌日、意外にも釜石に単身赴任中の同級生O君がやってきた。彼の実家は泊里で、以前は海岸近くにあったのだが、幸い高台に移転しており、被災は免れたようである。

我が家は海から遠く離れた高台にあるので、津波の心配は全くない。一方、同じ町内でも、海側の人達は日頃どのような津波対策をとっていたのか知らなかったので、彼に尋ねてみた。すると、幼少の頃は地震があれば直ちに高台に避難し、床に就く際には脱いだ衣服をすぐ着られるように枕側に揃えておくなど、おばあさんに厳しくしつけられたとのこと。また地震があれば、地区の若者が海岸に直行し、潮位に異常がないかを調べたそうである。当時のご老人は昭和8年の三陸津波を体験しており、また親達からは明治29年の巨大津波のことを何度も聞かされてきた筈である。海に暮らす民は、津波に対する警戒を怠らなかったようである。

我々の世代は昭和35年のチリ地震津波を経験している訳であるが、大船渡の湾奥周辺では相当の被害であったが、末崎ではせいぜい床上浸水程度と軽微であった。その後、防波堤や防潮堤の建設が進み、またTVの普及で緊急津波情報も受信できるようになった。そんな訳で、地区単位の自警意識が多少薄れてきた可能性が否定出来ない。

では何故、津波の来る危険な場所に住むのであろうか。海に近ければ、漁師にとり日常の仕事上都合が良いのは当然として、更に飲料水の確保にあった。当時、水道は普及しておらず、水量が決して豊かではない小川や井戸から水を得たものである。高台では、この点非常に不利であり、日々水汲みという重労働が課せられるのである。

現在、自転車では登りきれないような急斜面の高台にも新興住宅地が広がっているのは、水道と自動車の普及があってのことである。この典型的な地域は、細浦に隣接する中野の山側地区と平地区である。当然、今回被災する心配はなかったのである。

一方、細浦・泊里の旧来地区の他に、新興住宅地でも大きく被災した地域がある。そこは元々海側の水田地帯を埋立造成した所で、津波に対する警戒心の薄れた比較的若い世代の住民が多かったようである。

さて本題についてであるが、危険でも便利さを取るか、あるいは不便でも安全を取るか。これは津波だけの事ではない。現在問題となっている原発にも当てはまることではないか。原発は危険だ、でも便利な暮らしは捨てられないと・・・。

ただ、津波と原発の危険性は本質的に違っていることに留意する必要がある。津波は住む人の自己責任で済むが、原発はそれでは許されない点である。つまり、世代や国境を超えて影響が拡散していく点である。しかも半永久的である。原発問題を、自動車事故を例に肯定する論者もいるが、これは間違いであると拙者は思うのである。

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