夕方、下船渡に避難している友人のF君に会いに行く。
途中、細浦漁港付近を通る。満潮で、停泊の漁船が岸壁を越える状態の海面に浮かんでいる。細浦湾は波静かな良港で高波の心配はないとしても、やはり異様である。おおよそ1mは地盤沈下しているようである。
いずれも旧細浦漁港
F君の家は、漁港のある海岸通りから一つ隔てたバス通り沿いにあり、3.11で流されてしまった。以前は、ご母堂様が長年商店を切り盛りしていた。80歳代になられても、周囲はシャッター通り気味の街に変わりつつも、頑張って店を守り続けておられた。
帰省した時には、F君を訪ねて飲んだものであるが、部屋には海軍の軍服姿なのであろうか、凛々しい青年の写真が掛けられていた。どことなくF君の風貌に似ている。話を聞くと、戦死されたオバサンの最初の旦那様とのこと。その後再婚され、F君兄弟が生まれた訳であるが、軍服の青年はF君のオヤジサンのお兄さんであったらしい。
我々の大正生まれの親達は、戦争最大の犠牲者世代である。それぞれ多くの苦難を乗り越え、やっと平和な時代になり戦後を生きてこられた。オバサンは90歳前後でとうとう店を閉じられた。その後、体力の衰えから一年程寝たきり状態となる。そして、ご家族に看取られながら静かに息を引き取られたようである。
あれから2年程経過したであろうか。3.11で思い出の遺品や写真が、家とともに全て失われてしまった。F君と何日か連絡が全くとれない状態が続いたが、ご家族3人それぞれ別々に被災しながらも、皆無事であることを知りホッとしたものである。
元々土木関係の仕事に就いており、現在復興事業の監督・管理で多忙のようである。一時は解雇の憂き目に遭った奥さんも、店が次々と再開したお陰で再雇用されたようである。徐々にではあるが、生活基板がなんとか安定し、復興に向かって進んでいるようであった。
ささいな個人の人生記録であっても、津波で全て消え去ってしまうのはシャクである。せめてお世話になったF君のお母さんのことを、知っている範囲でブログに書き記しておくことにする。
F君の娘婿です。その節では大変お世話になりました。
返信削除お父さんからお話を聞き、このブログに辿り着きました。
当人からお話は聞いていると思いますが、「人生記録」という点で追記を。
3.11の震災では家ごと流されてしまい、何もかも殆どのモノが無くなってしまったのですが、なんと!!お祖母さんが生前愛用されていた杖だけが、いつも居たお店のレジ辺りから流されずに見つかったという事実。。。
お祖母さんの執念なのか愛着なのかはわかりませんが、このようなことも起こるんですね(^^)