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2011年7月9日土曜日

碁石海岸

X君訪問後、更に碁石海岸に向けてペダルをこぐ。この海岸一帯は拙者が小学生の頃に国立公園に指定(正式には陸中海岸国立公園と呼ぶらしいが、気仙は陸前の地であり地元では一般呼称となっていない)され、全国に誇れる景勝地である。

町民が、他の有名な海岸に観光で行ってみても、ほとんどがガッカリして帰るらしい。「やっぱり碁石の方がよかった」と。

碁石海岸の乱暴谷

拙者自身においてもそうである。太平洋の海を見慣れた者にとり、津軽半島で見たどこか蒼然とした日本海に接した時の印象は別格としても、それ以外の海岸ではあまり感動することがなかった。ただ、碁石の海を見ていつも感動する訳でもない。刺身やステーキを毎日食べていればそれは特別のご馳走でないように、末崎町民にとり碁石はそんな存在である。


駐車場から歩いて数分の乱暴谷をのぞく。そそり立つ岸壁は、大きな地震や津波で破壊された様子はない。以前の姿である。時間がないので灯台のある岬までは行かず、林間の遊歩道を周り駐輪地点に戻る。

観光写真でお馴染みの穴通磯は、人里離れた山中の道をドライブし、更に展望スポットに徒歩で降りていかなければお目にかかれない。自転車では帰りの登りがきついのでパス。2007年の冬の写真をアップしておく。
穴通磯(2007年15撮影)

湾奥は、左の山裾で隠れているが、被害の大きかった大船渡市街地方面である。湾口防波堤が写っているが、1960年のチリ地震津波から5-6年後に作られたもので、両サイドとも今回の津波で完全に破壞されてしまった。湾口の三分の二を閉塞することで、当時津波の高さは1/3になると言われていたものであるが、全く役立たずであった。むしろ、この堤防により潮の流入が妨げられ湾内は汚れ、大腸菌が増えたとかで何十年間も遊泳禁止になっていた。

末崎側では、この防波堤付近をトンボロと呼んでいる。工事の際に埋め立てられてしまったが、島の外洋側がむき出しになっているので、かって小島だったことが分かる。干潮の時には砂州で島が陸続きになったようである。とすれば、風光明媚なスポットが、注目されることなく、工事で永久に消されてしまったことになる。トンボロには、船で行くか、徒歩で山道を伝い峠を越えて行かなければならなかった。この難工事の為に、碁石側から道路が作られた。今日、それが舗装され、穴通磯へのアクセスに利用されているが、地元の高校を卒業し町を離れる頃でも、拙者この奇岩は町のどこにあるのか知らなかったのである。
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1 件のコメント:

  1. はじめまして、こんにちは、さはらと申します。

    シタボママさまのブログでコメントを何度も読ませていただいております。
    碁石海岸には昨年の大切な家族の思い出があり、震災があってから人事とは思えず、しかしながらできることは募金や救援物資...という状態です。
    でも「できること」を私のスタンスでやっていこうと言い聞かせながら、また碁石海岸に行けるよう願っております。

    無茶さまに一言「ありがとうございます」が言いたかっただけなんです(笑)。

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