翌日は、被災し仮設住宅に入居されているX君を訪問する。
真夏の暑さの昼下がり、泊里の急な上りには難渋する。登り切って水平の高台に達すると、目指す仮設住宅群がみえてきた。どの玄関かなとぶらぶら歩いていると、開いた扉の内側に本人の表札がぶら下がっているのを発見した。
中から元気に「上がれ」の声。遠慮無く上がらせてもらう。戸は開放しており、自転車を漕いできた者でも全く暑苦しくはない。住み心地はよさそうである。
泊里の麟祥寺(本堂も床上浸水とのこと)
奥さんを交え長時間話し込んでしまう。詳細は割愛するも、X君曰く「今回の震災は、確かに失ったものは多かったが、得たものはもっともっと多かったのでは」と大胆な発言。今回、多くの人命を失っているので誤解される向きもあろうが、これを拙者なりにあえて解釈すれば、物質的には多くのものを失ったが、精神的にそれ以上のものを得たということではないか。ご本人も実は最愛の肉親を失っている。多くの悲しみの中で、再建にも立ち向かわなければならない。ともすると挫けそうになるも、人々の善意が何よりの支えであるに違いない。
ボランティアの力は想像以上であったこと。冷えた食事で過ごしていた若い警察関係者の方々と、時には避難所に招いて暖かな食事を共にし、交流が広がったこと。近所同士で、例えば畑からとれた野菜を分けてくれるなど、他人を思いやる心。田舎であっても、ともすれば自分さえ良ければという個人主義的な考え方が、この震災を契機に見失っていた本来あるべき人間関係に戻って来たのではという。そして、「日本はこれからもっとよくなる」と断言しておられた。
ボランティアの力は想像以上であったこと。冷えた食事で過ごしていた若い警察関係者の方々と、時には避難所に招いて暖かな食事を共にし、交流が広がったこと。近所同士で、例えば畑からとれた野菜を分けてくれるなど、他人を思いやる心。田舎であっても、ともすれば自分さえ良ければという個人主義的な考え方が、この震災を契機に見失っていた本来あるべき人間関係に戻って来たのではという。そして、「日本はこれからもっとよくなる」と断言しておられた。
被災中に寄せてくれたメモの数々を保管しており、見せてくれた。若い警察官の方々からであろうか、不在時に残していった感謝のメモ書きである。
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