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2016年4月30日土曜日

山上の集落と麓の祭り

軽量の折り畳み中古自転車を冬場に入手。そのままにしてあったので、GW初日に試乗を兼ねて日帰り輪行することにした。場所は始めから決めていた。小田原近くの小高い山の中腹の集落である。

15年程前の連休初日、ウォーキングでこの集落に偶然立ち寄ったことがある。その時、庭の花々、周辺の新緑、空の青さに、強烈な印象を覚えたものである。そこで同じGWの最終日にも再訪してみた。するとどうだろう、僅か1週間の違いでも季節の移ろい感が漂っていて、ちょっと失望したことがある。行くなら429日、と最初から念頭にあった。しかも、麓の中井町では例大祭が同日に行われているので、都合が良い。

この集落は、麓の中井の集落から30-40分程登ったところにある。標高にして200m位だろうか。相模湾、横浜方面、大山・丹沢山塊と、眺望が抜群に良い。かといって、集落周辺は勾配が険しくない。むしろ山腹のテラス状と言ったらよいだろうか、緩やかな平原状の地形になっている。集落はやや窪地になった沢筋にある。これなら、風の吹きさらしや、生活に不可欠な水の心配もない。人里離れた高地であっても、集落が形成されたのは不思議でない。しかも、背後には広大な農地が広がっており、コメ以外は食料の自給も十分可能だ。


当日聞いた話しだが、平家落人伝説があるらしい…。高地でありながら、行ってみるとそんな感じがしない不思議スポットでもある。

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小田急線秦野駅まで輪行。

 秦野の市街地を見下ろす。向かいは丹沢・大山山塊

 目指す山上の古怒田集落…

麓の神社では例大祭
昼時間で、お囃子は休憩中…

 中腹より振り返る。
下の集落は祭の中井町、相模灘も見える。

今は使われていないかつての生活道?を、更に登る。
両側が深くえぐられ、何百年いや1千年?の歴史を感ずる…。


 古怒田集落の入り口…

 花1
 花2
 花3
山上の耕作地、向こうは丹沢・大山 

 菅原神社から集落を望む

 下界から神輿がやって来た…
 主な旧家?を回り、神輿の一団はクルマで下界へ…

 下界に戻り、祭りの人混みの中に…

若手主体の笛・太鼓・かねの囃子を聞きながら
皆さん山車の傍らの路上で宴会?中… 

GW初日、皆帰省され楽しんでおられる様子…。
地元に愛されているお祭でした。


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帰路は、行けるところまで行こうと、カンを頼りにペダルをこぐ。
で、着いたところが鶴巻温泉。

ここもお祭でした。
ハワイアンが聞こえてきます。フクシマのフラガールかな…?

フライドチキンを頼んでいたら、お隣の屋台の可愛い女性からビールも勧められた。

「自転車なので酔っぱらい運転になるね…」と私。

彼女、「じゃー、持って行って下さい」

「いや、むしろアナタを持って行きたい…」

すると一瞬、嬉しそうな笑顔が…。

世の中冗談が通ぜずオヤジギャグと嫌悪されるが、今回はスベらずにすんだ。
若ければ、メルアド交換といきたかったのにね…。

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何時もは、誰とも話すこともなく帰ることが殆ど。今回は珍しく、祭りの地元民、古怒田の女性、そして弦巻温泉と、見知らぬ方と話す機会があった。やはりサイクリングの行動範囲の広さも一因か。

久々の輪行ながら、意外とヘタバラずにすんだ。
これは、自転車の軽さのおかげもあるようだ。

ギヤは3段で、きつい勾配では歩くに限る。急坂でのブレーキの効きもよくなさそうなので、減速して慎重に走る。幾つか不具合な点はあったが、軽いことで駅舎などでの持ち運びが比較的ラクなのは助かる。
また機会をみて輪行するつもりである。








2016年4月26日火曜日

「ゆらぎ」の響き…、バッハ音楽の再発見!!

最近、リュート(ギターに似た古楽器の一種)音楽に魅せられている。
その何が魅力か。洗練され(過ぎ?)現代の楽器には無い、手作り感覚の音色と言ったらよいだろうか。

枇杷の形をしたこの楽器は、ルネッサンスやバロック期にヨーロッパ中で相当普及したらしい。だが、チェンバロやピアノ等の鍵盤楽器が登場するや、歴史の片隅に忘れ去られてしまった。言ってみれば滅びた恐竜みたいな楽器で、20世紀には博物館でしか見られなくなったという。絵画にもよく描かれているらしい。音量は乏しく、弦が多過ぎて調弦が煩わしく、またメカニック的にも鍵盤楽器のような速弾きは到底望みうるものではない。音楽が高度化(感情爆発的音楽…)し、大ホールでの演奏が前提となると、この古楽器は滅びてしまうのは当然の成り行きであった。

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当方が、文化もヘッタクレもなかった当時のケセンの海辺の町から上京し学生だった頃、バロック音楽がちょっとしたブームだった。クラシック音楽の人気ランキングで、人気のベートーヴェンを抑え、ビバルディの「四季」が常にトップの座にあった。他に、バッハのブランデンブルク協奏曲も入っていたように記憶する。兎に角、イ・ムジチ合奏団の「四季」が人気の定番であったことは間違いない。またこの頃、NHK-FMで、皆川達夫の「バロック音楽の楽しみ」が毎朝放送されていたが、この番組がブームの火付け役だったのかもしれない。

ステレオは高額でLPレコードも2-3000円と、貧乏学生には手が出ない。クラシック音楽をふんだんに聴くには、NHK-FM放送が一番手軽だった。歩いている時、電車に乗っている時、ショルダーバックに入れたトランジスタラジオで、イヤホーンを耳に挿して垂れ流し的に音楽を聴きまくっていた。未だSONYのウォークマンが登場する前の頃である。その時分に、FMから流れてきたビバルディのリュート協奏曲?で一度だけリュートの音を聞いたような気がする。

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あれから40数年。FM放送に代わり、YouTubeが登場。古今の音楽をふんだんに聴けて、誠にありがたいご時世である。

暫く忘れていたキーワード、「リュート」で検索したところ、その演奏サイトが沢山見つかった。ルネッサンス期・バロック期の音楽の研究が一段と進んだようである。また、「日本リュート協会」も設立され、国内で演奏されている愛好家も少なくないようだ。海外で活躍する日本人リュート奏者も結構おられるみたい。中には、音色に魅せられて、ギターからリュートに完全に転向されたプロの演奏家もいた。40年前とは状況が大きく変わっていたのである。

そんな中で、リュートデュオ・カップルの演奏がお気に入りである。特に、バッハの鍵盤楽器用の曲をアレンジした演奏は最高!!

フランス組曲(No.3BWV814)は、ピアノやチェンバロの演奏でお馴染みであるが、リュートの響きには絶妙の美しさがある。鍵盤楽器にはない、いわゆる「ゆらぎ」の響きにあるのでは…と思っている。注意して聴くと、確かに音は不揃いである。が、ちょうど毛筆の文字のような、流麗な響きがある。指先から音が紡ぎ出されるといった趣である。高度に機械化された鍵盤楽器では到底味わえぬ、古楽器特有の音色のように思える。

フランス組曲No.3のアルマンド(演奏:リュート・デュオ)

オルガン曲のトッカータ(BWV540)も素敵だ。同一のフレーズが、手を変え品を変え次々と繰り出される曲調に圧倒される。バッハの音楽は実にカッコいい、こりゃロックだな…と思ったところ、案の定プロブレ・グループのELP(曲名:The Only Way)でも使われていた。当然、オリジナルのパイプオルガンによる演奏サイトが多い。色々比較して聴いてみたが、大仕掛な音量で迫るオルガンの重厚な響きもドラマチックで良いが、リュート・デュオのアップテンポな素朴で繊細な音色にも魅せられる。ビューティフル、マグニフィセント、ファンタスティック、ブラボ…と賞賛のコメントが多い。それ以外に形容のしようがあろうか…。

トッカータ-BWV540より(演奏:リュート・デュオ)
お気に入りのパイプオルガンの場合(演奏: ヘルムート・ヴァルヒャ)


当分、リュート・デュオを中心とした「ゆらぎ」のリュート音楽に耳を傾けることになりそうだ。

2016年4月20日水曜日

3.11仮設住宅の再利用 - 熊本震災の被災者支援に…


震度7のあった夜に引き続き、翌日深夜(正確には2日後なんだろうが…)にまたもや地震警報…。熊本の震災には驚いた。

ちょうどその時TVを観ていたが、余震だろうと思った。ところが、何度も地震警報が現れては、震度6と報道される。それが何度繰り返されただろうか。余震にしては揺れが大き過ぎるし、頻発するのには異様に感じた。東京では幸い揺れは全く感じなかった。何時迄も起きている訳にはいかず、ひとまず床についた。

翌朝起きると、こちらの頻発した地震が本震であることを知る。2日前の最も大きな震度7の揺れが前震。この時、被災地は益城町周辺と限定的?だった。本震では、それまで耐えた家屋が倒壊するなど被災地は拡大し、10万を遥かにオーバーする多くの避難生活者を生んでしまったようである。避難所を敬遠し、車上で暮らす人も多いという。一体どれだけ多くの人々が避難しているのだろうか…。3.11震災の記憶が未だ生々しいだけに、身につまされる。

3.11の時は午後の日中であり、周囲の様子をうかがい知ることができたし、本震の揺れは長かったけれども、その後は驚く程の強震は(首都圏で)無かったように記憶している。今回は深夜帯である。強震がこれでもかと何度も襲ってくる。暗闇でいつ倒壊するとも知れぬ家屋の中で、その恐怖は3.11以上に過酷なものだったに違いない。

家屋はもとより生活に必要な道路・水道・電気等のインフラも相当破壊されたようであり、避難生活は長期化しそうである。これだけの規模では、短期にインフラを整備し仮設住宅を用意することは難しいだろう。

そこで思うのだが、3.11後に用意された仮設住宅に一時的に身を寄せてもらうのはどうだろうか。末崎小グラウンドに設けられた仮設住宅しか知らないが、5年も経過すると相当空き室が発生している。正確に数えてはいないが、60-70%位は空きのように感じる。とすれば、被災地全体でも、数万戸の空き室が発生している可能性がある。これらを再利用できないものだろうか。

これから夏季を迎える。熊本は南国であり相当の猛暑であろう。また台風による、土砂崩れや土石流等の二次災害も気がかりである。東北の沿岸地域ならば、太平洋からの南風で夏季は過ごしやすいし、台風も少ない。遠方になるのは気の毒ではあるが、仙台や花巻からの飛行機便もあるだろう。再建の見通しがつくまで、東北に一時的に身を寄せてもらうのはどうだろうか。空き室が増えていく中で、孤立化し疎外感を覚えている仮設住宅居住者も少なく無いだろう。新たな入居者が加われば、交流も生まれる。

田舎の同級生も仮設住宅暮らしをしていたので、帰省した際には何度か訪ねている。知人は奥さんと二人暮らし。サイズはピッタリで、意外と暮らしやすいように感じた。冬場も、寧ろ狭い方が暖房効率も良いだろう。地域によっては、人里離れたところとか日常の買い物にも不自由する劣悪な環境のところもあるようだ。が、全てそういう訳では無い。寧ろ買い物が便利になったところも少なくない。

立根町(大船渡市内)にある家電量販店に行った時、近くにあった大船渡第一中学校(一中)に立ち寄ったことがある。半世紀前の中学生時分、水田の中の砂利道を盛駅から1時間程歩いて来たものだが、今では周辺は一変し、スーパーや量販店が多く、3.11後は市内の最大商業スポットになった感がある。その一中グラウンドが、仮設住宅になっていたのには驚いた。立根は内陸であり、地元民は被災していない。とすれば、大船渡町や赤崎町あたりの沿岸住民が入居した可能性がある。たぶん、今では相当空き室が発生しているだろう。新幹線の水沢江刺駅までも、立根からだとクルマで1時間程度。住むのに便利な仮設住宅を、空き室のままに放置しておくのはもったいない。

全国(世界中)からのボランティアが、3.11後の復興に大きな力となっている。それを認識する地元自治体も暖かく受け入れてくれる筈である。


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仮設住宅の空き室情報参考サイト:

20162月時点で、岩手県の空き室は41%となっている。とすれば、末崎町は個人住宅に限っては相当復興が進んでいるということか…。

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末崎町に建設されたモダンな震災公営住宅

仮設住宅からの引っ越しが進んでいる…。

保育園、小・中学校、仮設の医院、歯科医院、BRT駅が周辺にあり、
今後末崎町の中心地区に…。

BRT(JRバス)は、午後の時間帯によっては30分間隔で利用でき、
買い物・通学・通院に便利。クルマ無しでも生活できる。

(写真はシタボさんのブログより拝借)



2016年4月14日木曜日

英国製?の家庭用クランプ式電力計から思ったこと…


スマートメーターに替えられたものの、電力会社から何の案内もない。そこで、ネット上で電力の使用状況が確認できないものかと調べていたら、「でんき家計簿」サービスがあることを知った。そこで、登録しログイン(4.08)と思いきや、「申請中」の表示…。放っておけばいずれアクセスできるだろうと思っていた。すると3日後にメールで、「認証コード」を郵送する旨の案内。そして本日(4.14)、認証コード通知のハガキが届き、やっとデータにアクセスすることでできた。

それにしても、のんびりしたものである、メールなら即返信できるだろうに、3日後なんだから…。初期登録の際には、パスワードのところで引っかかりどうしても先に進まない。「-」を混在させていたので、それを抜いたところ、やっと登録された。ID登録欄には、使用可能文字 半角数字、半角英字、「$」「&」「-」「_」「@」「.」」と案内されていたのである…。パスワード登録欄には、禁止文字の表記は一切なし。不親切そのものである。

で、やっとデータが見られたのだが、最新のものは「一昨日のデータ」(4.12)であるのには驚く。30分単位の表示で、0.1kWh(最小数値)が主で、昼と夜の炊飯時に0.2-0.3kWh、深夜帯の0、と随分ラフである。どうせこんなものだろうなと予想していたが、全くその通りであった。
一日の消費電力


ただ、年間の消費電力グラフの方は、確かに節電を検討する上で有効である。とは言っても、当方は夏場のエアコンも冬場の電気ストーブも一切使用していないので、年間を通じフラットである。


年間の消費電力

懸案の「外出時のスイッチ切り忘れチック」には全く対応できていない。そこで色々しらべ、何時もよく行くヨドバシカメラで売られている「ecoco 消費電力モニター」を導入することを考えている。同様の製品があちこちで販売されていたが、家庭用のクランプ式電力計ではここが一番安そうである。



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この製品は、どうも基本設計は英国製のようである。さすがである。産業革命以来の伝統があるせいか、新たなニーズに対して抜け目がない。若い時分に特殊装置の輸入販売に携わっていたことがあるが、英・仏・独の欧州三国メーカーが世界を圧倒していた感があった。それは今日でも変わらないようである。当時担当した会社は、従業員100人程度と、日本でいうところの典型的な中小企業だが、中身が違う。そのうち10-20名はPhDドクターで設計と研究開発を担当、他の技術者も大卒者が多かった。工場は田舎の田園地帯にありながら、製品は世界中の研究機関に納入されていた。

兎に角、新たなニーズに対して、柔軟に対応できる土壌がある。特に英国は島国である。彼らのマーケットは、17世紀のイギリス東インド会社」以来常に海外にある。欧州大陸しかり、アジア、アメリカ…。

ネット社会になり、益々迅速性と柔軟性が求められる。有望な人材が(組織が硬直化し反応の鈍い)大企業に偏りがちな日本が、今後まともに世界と競合していけるのだろうか疑問である。その一例は、いち早くボーダレスになったパソコンソフト。日常使うソフトは、いつのまにか外国品ばかり。肝心の日本語入力変換機能までもがgoogle製なんだから笑ってしまう…。

自然エネルギーについても欧州では、自然環境条件に従い、国々が個別に対応しているようである。一方、日本はというと、地震大国!?にもかかわらず、相も変わらず原発再稼働(言わば昭和のレトロなテクノロジー)が最優先されているようで、危なっかしい。

そして、TPP。関税撤廃したら、国内企業はそうとう打撃を受けるだろう。50年後は、googleAppleなどのネット企業が、世界のありとあらゆる産業をコントロールしているかもしれない。超優良企業のトヨタ、ホンダだって、一歩誤ればシャープの二の舞いになりかねない。その時は、護送船団を組んでいた周辺企業も散り散りとなり、自ら糧を求めて世界中をさまよっていることだろう。

英国製?家庭用クランプ式電力モニターのことから、あれこれ余計なことが脳裏を錯綜した…。

2016年4月11日月曜日

代々木公園…

今年の花見シーズンは天候不順続き。気づいた時には桜は散り始めていました。

近くの代々木公園なら他にもお花が楽しめるかなと思い、知人が来たので、一緒に散歩してみました。

 新緑も始まっています…

 チューリップや菜の花が沢山咲いていました…


広大な芝生スペースに、シートを敷いて飲食や会話を楽しむ若人達のグループが沢山いました。どこかの有名お花見スポットとは異なり、酔っぱらい客は皆無、ゴミも散らかってはおらず、平和そのもの。マナーが行き届いているのには感心しました。

2016年4月6日水曜日

もし携帯カメラに、シャッター音機能がなかったら…


スマートメーターの問題点について各方面に通報してみたが、その反応にはあまり本気度が感じられなかった。防犯上も問題ありと思い、一応警察にも連絡してみた。が、逆に住所・氏名等プライバシーの詳細を尋かれる始末。犯人扱いされているようで、今後安易には通報できないな…。周りの知り合いでも、外出時に回転盤をチェクする者など皆無である。当方、益々「オオカミ少年」状態…と思いきや、さにあらず。同じ悩みを抱えた方のサイトが更に見つかった…。


携帯カメラやスマホに何故にシャッター音機能がいついているのだろうか。今更愚問だろう。言ってみれば、満員電車でスカート内を知らずに撮られ、お顔と一緒に勝手にネット上に公開されるからです。この機能が義務付けられていたおかげで、そういう状況だけはかろうじて免れている。

携帯カメラにもしシャッター音機能が無くなったら…。同様のことがスマートメーターで起きている。 (繰り返しになるが)外出の際に簡単・確実に電気の切り忘れがチェックでき、しかも節電対策に利用できた便利な機能が、スマートメーターには無い。昨日まで当たり前にできたことが出来なくなる。これは進歩どころか、むしろ改悪である。彼らが言うところの電気の「見える化」とは電力会社の都合であり、我々ユーザーにとっては電気の「見えない化」のように思えてくる。いずれ、スマホが使えぬ高齢者世帯も、電気の「見える化」から取り残されよう…。


一般の家電製品ならば、好みの仕様のものを選んで購入できる。ところが、スマートメーターはそれができない。一方的に、電力会社から押し付けられるのである、全戸に…。これは、個人の問題ではない。社会の大問題である。繰り返しこの問題に言及しているのは、その為である。

2016年4月5日火曜日

スマートメーター(続き5)…(恐怖!?の)不自由メーター

未だ運用が始まっていないので現況からの判断だが、スマートメーターは単身・少世帯には不自由メーターである。というのも、従来の回転盤だけで、節電対策に十分に活用できていたからである。

基準は常に通電する冷蔵庫。これがONの時に微かに回転している。この回転速度に限りなく近ければ、外出OKとなる。スマートメーターでは、電球一個どころか、電気コタツの消し忘れさえもチェックできない。何がスマートメーターか。省力化できる電力会社にはスマートであっても、当方には全く不自由メーターである。

夏はエアコンを極力使わないようにしている。特に日中の猛暑時は、近所の図書館やカフェに非難する。これも都会生活者の利点であるが…。冬場の唯一の暖房器具はホットカーペット。ストーブやコタツは一切使わない。一番電気を食うのはIHヒーターとホットプレートの調理器具である。これらはエアコンやストーブのように常時使用するものではない。従来の回転盤だけで、電気節約上十分スマートな生活ができていたのである。

今回の問題で、ネット上で調べてみて知ったのだが、家庭内の使用電気の「見える化」として、HEMS(Home Energy Management System)構想があるらしい。が、これは比較的大家族の一戸建てには理にかなったシステムであろうが、都会のマンション暮らし、特に単身・少世帯、には笑止である。

しかも電磁波障害の危険性があるというではないか。当方が外出する際に廊下を通る訳だが、数えてみたら9個のスマートメーターがあった。常時電波を出しているなら、その間、電磁波を浴び続けることになる。が、今更電磁波云々してもしょうがないかも知れない。既に室内には携帯電話、Wi-FiIHヒーターなどがあり、電磁波を浴び続けている訳だから…。

我々年配者はそれでもよろしい。だが、当マンションでも、昨年二人子供が生まれた。今年はよちよち歩きを始めるだろう。無邪気に遊ぶ彼らの頭上には、電磁波を発生する不気味な物体が何個も取り付けられている。幼子らの未来に、一抹の不安を覚えるのである…。

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参照サイト:
https://enechange.jp/articles/hems

2016年4月4日月曜日

スマートメーター(続き4)…アナログ機能の必要性


最新のデジタル器機であっても、使い勝手によってはアナログ機能を残しておくことは絶対に必要である。

デジタルからアナログへの逆転現象例…。

1980年代、腕時計は殆どがデジタルウォチに代わったことがある。当時、ある試験を受けたことがある。アナログ時計なら残り時間があと何分と感覚で把握できたが、その時はデジタルウォチを使用していたので、残り時間を瞬時に暗算しなければならず、スピードが要求される試験というのに、余計な負担を強いられたことがある。デジタルは意外と不便…ということをその時体感した。
その後、マーケットもその不便さに気付いたようで、徐々に元のアナログな針付きのものに戻り、今ではデジタルウォチはあまり見かけない。

メーカーが売り出す前に、きちんと対応した例がある。携帯カメラやデジカメである。シャッター音が設けられ、盗撮しにくいようになっていた。デジタル器機なので、本来メカ的な音は発生しない。だが、この機能がなければ、日本は危うく盗撮天国(いや既にそうなっているか…)になるところであった…。


さて、問題のスマートメーター…。

電力会社から詳細説明が無いので、このメーターについてネットで調べてみた。「30分単位の使用量」とある。


メーターの最小桁が0.1kWh表示とすると、0.1→0.2に切り換わるのに、消費電力0.2kWhの電気器具を30分間使用してやっと反応する。

電気コタツ(弱運転時の消費電力0.08kWh、強運転時の消費電力0.2kWh)を例に考えてみた。

30分間の消費電力はその半分。即ち、強の連続運転時(0.1kWh/30分)で、やっとデジタル表示の最小桁が、0.1から0.2に切り替わる。これでは感度が悪すぎる!! 今までの回転盤なら、小型冷蔵庫の微弱な通電レベルを感知でき、更には40W程度の電球(0.02kWh/30分)の消し忘れも、確実にチェックできた。まだ実際に運用していないので杞憂であればよいのだが、スマートメーターは、外出時の切り忘れチェックに使えないと見て間違いない。

これまで何人かに訪ねて判明した事は、回転盤を見て切り忘れをチェックする者は希なようである。が、ゼロではない。今後スマホと無縁の高齢者世帯が激増する。とすると、彼らには簡単・確実に電気の切り忘れを最終チェック(二次チェック)する手段が無くなってしまう。また、家で独り倒れていても、誰にも気付かれない…。

今の仕様のスマートメーターがこのまま普及したのでは、消し忘れによる火災や孤独死が統計的に増えていくだろう。未来は益々ヤバイ…。

結論になるが、電気の切り忘れがないか外出前の最終チェック用として、あるいはまた、「見知らぬお隣さん同士の唯一残された無言のコミュニケーション・ツール」として、従来の回転盤なりアナログメーターは、日常生活の安全対策上絶対に無くしてはならないアイテムと確信している。

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あれから新聞社にも電話してみた…。はたして適切に報道してくれるだろうか。

2016年4月3日日曜日

ガス漏れで考えたこと、技術以前の問題…


早朝、チャイムで起こされる。今回はT電ならぬ東京ガスの工事関係者…。

階下でガス漏れの急報があり、暫くガスの供給をストップするという。当方は都市ガスを使用しておらず関係ないが、事は重大と階下の現場に降りていった。階下の住人が室内にたまたま置いてあったガス検知器が警報を発したらしい。供給弁を閉じてガスを一端停止。配管が埋設してある付近の廊下のコンクリートを剥がし始めた。

当時埋設されたガス管は鉄製で、寿命は20-30年とのこと。鉄製なので、いずれ腐食しガス漏れが発生するのは仕方ないらしい。当マンションは、その年限を遥かにオーバーしている。

廊下のコンクリートをドリルで剥がし、更に50cm程掘った所に配管が見えてきた。それから更に、2メートルくらい配管に沿って廊下を剥がしてきたところでガス漏れ個所が見つかった。何と、直径2-3cm程の穴が開いているではないか。これは、昨日今日に開いたものではない。すでに、何年も前から漏れていたのだ。地下の割れ目を通り、そのごく一部が一階のお部屋に侵入し、警報器が検知したようである。外出する時はその場所を常に通るのだが、臭気を感じたことはなかった。全くもって、そのお部屋に用心のために掛けてあったガス検知器のおかげで、重大事故に至らずに澄んだ…。思えば思うほどゾッとする話である。

長年の腐食で、ガス管に2-3cm大の穴が開いていた…

そこで疑問なのだが、いずれ腐食する配管を何故に埋設しなければならなかったのだろうかと…。むしろ天井下の壁を這わせた方が、ガス漏れ検査を簡単に行える。また、地中に較べ湿気も少なく配管の寿命にも良いことが、素人でもわかる。プロである工事業者が、いずれ重大事故にもつながりかねない配管腐食のことをわかっていながら、何故このようなアホな施工を行っていたのだろうか。確かに、配管類は埋設したほうがスッキリ見える。しかし、事は安全性に係る問題である。結局それは、売らんがためのデザイン優先の為である。どうせ問題が発覚するのは20年後、30年後だから、やっちゃえ…みたいないい加減な、当時の態度が透けて見えてくる。

そこで言っておきたい。「お前ら設計に携わる者は、プロとしての矜持がないのか」と。
これは技術云々以前の問題である。

このような事例が、素人考えだが、近年いくらでもある。

最たる例は原発である。よくトイレの無いマンションと言われる。使用済み核燃料の処分のことについて何にも考えていやしない。今の世代が良ければそれで良し。後は後世にお任せ主義である。フクシマで懲りずに、再稼働を企んでいる。益々ドツボにハマり込んでいくとしか思われない。しかも、テロやミサイル攻撃の標的にもされかねず、国防上も危うい…というのにである。国内では核廃棄物を大量に生み出しながら、その電気を使って製品を余分に製造し、せっせと外貨稼ぎに奔走している。いっそ、核廃棄物付きで製品を輸出すればよいものを…。

巨大なダムにも懐疑的である。100年持ったとしても、101年目からどうするのだろうか。土石が堆積していく。いずれは、尾瀬沼のような広大な湿原にしていくつもりなのだろうか…。

都会の高層ビルなんかも危ういな…。関東大震災級の震災に遭遇したら、無事では済むまい。建物は倒壊しなくとも、ビル風に煽られ周辺に火災旋風が発生したら、或いは、液状化、堤防決壊、等など。停電や断水も発生する。机上の計算では予期せぬことが起きるものが大災害である。3.11の直撃は幸い逃れた都心だが、いまだに高層化が進んでいる。破滅に向かって突き進んでいるとしか思えない…。


他にも、中央高速のトンネルパネルの崩落事故しかり、看板落下事故しかり。技術以前の問題が益々露呈してくるだろう…。

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ガキの頃、鉄道は蒸気機関車で、クルマもない、水道もない、ガスも無い、TVもない。海・山・畑から食う糧を得る半自給自足的生活を体験している古い人間でござんす…。文明がいかに進歩しようが、人間忘れてはならない生活の原点がそこにあると、実は今でも思っている。
社会人となり一時は、色々な先端機器を扱った。そして感じることは、機械は故障するということに尽きる。だから、如何に高度に技術が進歩しようが、基本は変わらない。げんに、このガス漏れ検査は、40年前の手法と全く変わらず、そして20人程の大量の作業員が動員されていた。ネット上では、テクノロジーは大いに進歩しているようにも思えても、実は足元でやっている事は、昔と全く変わらす泥臭い。そういうことを本日は実感したのである。




2016年4月2日土曜日

名曲 - 末中校歌

( たまには故郷の思い出、投稿しないとね…)

全国津々浦々の学校では、新入生を迎え入れ、新学期が始まった。

さて、当方が末中(マッチュウ)に入学したのは半世紀前…。式は旧体育館で行われ、そこで校歌を初めて耳にした。先輩方が起立して歌ってくれたのだが、最初何やら念仏を唱えているような感じで全く分からなかった。ニ番に入り、「ごいしは~」と聞き覚えのある地名が耳に入ってきて、やっと「校歌だ」と認識した。式の前後は全く覚えていないが、この一瞬だけは、何年経とうが脳裏に焼き付いているから不思議である。

一番は、いきなり「函嶺」で始まり、「水天~」、「紫金~」、「産土の~」と、何やら辞書がないとわからないような高雅な響きの歌詞のオンパレード。だが、我ら地元っ子なら、自然とその大意を汲み取ることができる。これぞまさしく末中校歌!!

三番目の「新生日本の~」は、当時の時代背景を示している。開校が昭和22年、戦後二年足らずの頃である。敗戦から一転、民主化の波が、陸前の地まで押し寄せてきたことを感じさせてくれる。

その後、高校・大学と進んだのだが、校歌はいずれも最後に校名を連呼する内容、しかも1番から毎回、この陳腐なフレーズが繰り返される。正直、食傷気味になる。その点、末中校歌には、校歌にありがちな「我が母校~」とか校名の連呼が全く存在しない。言わば、校歌らしくない校歌、奥ゆかしい校歌と言える。だから、何度歌っても、飽きることがない。これ即ち名曲なり、である。

一方、末小(マッショウ)の校歌も佳曲で、なかなか捨てがたい。末中校歌同様に奥ゆかしく、歌詞は明快。6年間歌って来たわけだが、その後同級会で歌った記憶が無い。末中校歌があまりにも立派過ぎるので、その影に隠されているのかもしれない。ちょっと残念ではある…。

末中校歌は、シタボさんのブログにあったので、ご参照下さい。


末小校歌は、別の機会にでも紹介したい…。


末中の地鎮祭(推定:昭和23年頃)
※末中創立50週年記念誌「函嶺」より採取

(現在地に校舎を落成したのは昭和245月と記されているので、その前年と思われる。)

五本松の斜面は完全にハゲ山状態!! 戦時中、松根油を採取するために乱伐されたようである。五本松に登る山道(斜面中腹の左肩上がりになった道)が確認できる。子供時分はよく利用したが、現在は誰も山に入る人がいなくなり、完全に廃道となっている。


2016年4月1日金曜日

スマートメーター…(続き3)


仮に法律で、速度計の無いクルマも運転OKになったらどうだろう。長年乗り慣れている我々現役世代であれば、スピード感覚が付いているので、特に問題にならないかも知れない。だが、これから免許を取得し運転しようとする若い世代は、始めから速度計が付いていないので、スピード感覚はいい加減にならざるを得ない。60km制限の公道を、120kmで飛ばしても、捕まるまで気づかないかもしれない。

今普及させようとしているスマートメーターには、リアルタイム(今流れている)の電流値が表示されない。だから、これから関東圏のどの家も、言ってみれば速度計の無いクルマみたいなものに代わるのである。

(いずれネット経由で、積算電力値などチェックはできるだろうが、当方が知りたいリアルタイムの電流レベルが表示されるかは疑わしい。これを実現するには、少なくとも計測周期を秒単位で行い、送信しなければならないだろうし、また膨大な計算処理を瞬時に実行しなければならない。先ず不可能だろう…。この点も、電力会社から何の説明もない…。)


当方は、ガスは使用していないので、電気が唯一の熱源である。最も電気を消費するのは、煮炊き用のIHヒーター(IH)と炒め用のホットプレート(HP)である。調理時には電気釜にもスイッチが入っている。この時間帯が一番電気を使用する。そこでいつブレーカーが切れるとも限らないので、IHHPを同時に使用することはない。前者を使用しているときは、後者には絶対にスイッチを入れないように注意している。また、IHヒーターは出力調整ができるので、高・中・低と切り替えてみて、電力計の回転盤の回転速度をチェクし、このレベルなら電気釜のON時にもOKとか、感覚をつかむようにしていた。

これから先、電力を大量に必要とする新たな家電製品が登場してくるとも限らない。これを導入したときに、試験運転時にリアルタイムの電流レベルを、今までのようには簡単にチェックすることが出来ない。これをチェックするには、専用のクランプメーターが必要らしい。だが、電気技術者が使うような計測器で、外出の度にいちいち計測するのも面倒である。

ということで、家電製品の切り忘れは、スマートメーターの普及とともに増えるであろうし、火災の発生率も高くなることが予想される。だが、大手電力会社は、省力化には関心があっても、社会の防災対策には無関心のようである…。

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本日更に、若い世代の2人に、外出時に回転盤をチェックするか尋ねてみたが、いずれもNoだったのには驚く。

やっぱり、我が国民は、一般に技術無関心国なのだろうか。全て、オカミ・おエライさんにお任せなのかも知れない。

そういえば、天気予報でも、それまで慣れ親しんできた気圧の単位ミリバール(mbar)が、舌を噛むようなヘクトパスカル(hPa)にいつの間にか代わって久しい。数値は変わらないのに、何故長ったらしい発音の呼称に変えてしまったのか、これを提唱した社会常識の無い?ガクシャ共に腹が立つ。が、これに対して一般国民からの反論を聞いたことがないな…。スマホはスマートフォンと言いなさいとか、パソコンはパーソナルコンピューターと言いなさいとオカミから指導されたら、皆怒るだろうに。

先日、病院で血圧を計ってみたところ、最高血圧は113mmHgと表示されていた。物理系のガクシャ共は、気象学会には口出しできても、医学会にはご遠慮なされたようである。

まったくいいかげんなんだから…。