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2011年9月1日木曜日

新たな脅威

本日は防災の日。朝からヘリコプターが上空を舞っている。今回は例年になく本気モードである。3.11で、いずれ関東大震災クラスの地震に関東圏も見舞われる可能性を誰でも認識した。何時何処ではさて置き、日頃用心に越したことはない。

さて天災は致し方無いとしても、人災もまた脅威であることが原発問題で認識された。NHK BS1SFとも思えるが、実は現実的な問題を特集したアメリカ発の番組を見てしまった。「電磁パルス攻撃の脅威に備える」がそれである。

数百万kmの上空で核弾頭を爆発させると強力なエネルギーを持つガンマ線が放出される。これが電磁パルスとなり、送電線やあらゆる電気機器の電子回路を破壊するいうのである。一瞬にして、電力も、照明も、通信も、テレビやラジオの放送も完全に途絶し、日常生活がジ・エンドを迎えるらしい。

「電磁パルス攻撃」で思い出した事件があったので調べてみた。ちょうど35年前の1976年のことなので、若い方々はご存知ないであろう。ソ連のベレンコ中尉がミグ戦闘機で北海道に飛来し、アメリカ亡命を求めてきた事件である。

当時最新と思われていたミグ戦闘機を分解し調査したところ、時代遅れとも思われる真空管が電子回路に多用されていたことで、たいした飛行機ではないと見くびったらしい。ところが一部の識者は、電磁パルス対策の可能性を指摘し皆ビックリしたのである。真空管は電磁パルスに耐性があるようだ。この真偽の程は知らないが、「電磁パルス攻撃」の可能性が認識されたのもこの頃である。

この攻撃は、通常の地表近くで爆発させる核爆弾とは異なり、500kmも上空で爆発させる為に、人的被害は無いらしい。ということは、表向き殺傷を目的とした非人道的爆弾ではないので、倫理的に使い易い武器とも考えられる。

35年前の当時は、パソコンもネットも存在する以前のことで、高度には電子化されてはいなかった。高層ビルも西新宿に何棟か立ち始めた頃で、少なかった。国鉄(今のJR)の全国の鉄道が10日間ストライキしても、世は意外と平静であったのもこの頃のこと。電磁パルス攻撃については、未だ現実的ではなかったと思う。

高度に電子化された今日、この攻撃に晒されたら悲惨である。送電線や通信インフラが完全にズタズタに破壊されるので、照明、揚水ポンプ、通信・放送、制御機器等々全て不能に陥る。恐らくは、大震災以上のパニックを引き起こす。特に大都市であれば、食料や飲料水が一気に尽きて、飢餓状態に陥る可能性があるのだ。

3.11では、拙者の田舎でも停電、断水、通信不能の状態で、一ヶ月以上も孤立した。だが田舎のことでもあり、プロバンガスは使え、更には薪や井戸水も利用できた。インフラが停止しても代替が効くのは強みである。一方、大都市ではその代替が全く効かない。震災には何とか対応できても、「電磁パルス攻撃」については完全にお手上げである。この災害は、太陽の爆発による強大の磁気嵐によっても引き起こされるから余計厄介である。

対策として、大都市機能を地方に移転させ、都市を縮小させていく他はないのではないか。電気も食料も地産地消化できる状態まで都市を分散化させないことには、高度に電子化された社会は危ういことを、この番組を見て再認識した次第である。

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都市生活者は、日頃田舎の親戚と良好な関係を築いておこう。都市が食料パニックに陥る前に、自転車で脱出あるのみである・・・。

関東大震災でも、田舎の縁故を頼り、人々は続々と東京を離れていったようである。この様子を世田谷郊外に住んでいた田園作家、徳富蘆花が以下のように記している。

東京の焼け出されが、続々都落ちして来ます。甲州街道は大部分繃帯した都落ちの人々でさながら縁日のようでした。途中で根竭きて首を縊ったり、倒れて死んだ者もあります。寿永の昔の平家都落ち、近くば維新当時の江戸幕府の末路を偲ぶ光景です。村の何の家にも避難者の五人三人収容しました。私共の家にも其母者が粕谷出身の縁故から娘の一人を預かりました。田舎が勝ち誇る時が来ました。何と云うても人間は食うて生きる動物です。生きものに食物程大切なものはありません。食物をつくる人は、まさかの時にびくともしない強味があります。(「みみずのたはごと」より)

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