Powered By Blogger

2011年9月2日金曜日

輪行記録:1995年夏(1)

この夏は、田舎に行く以外は輪行していない。なかなかそういう気分になれないのである。過去の輪行記録をアップすることで、当時を思い出すことにする。本日は1995年夏の記録にする。前年に引継続き変速機無しの2号車によるものである。

輪行日: 1995.7.29 - 大弛峠越え

奥秩父山塊を山梨側から信州側に抜けるスーパー林道が、拙者が学生時分に既に完成していた。この輪行より20年前の事である。大弛峠はこのルートの最高地点で、自動車の通れる日本最高所の峠でもあるらしい
それまで、山登りでこの峠を2回歩いている。初回は、塩山側から雁坂峠に登り、途中一泊し、甲武信岳、国師ヶ岳と縦走し、奥秩父の主峰を越えてきたのである。奥秩父で最も人気のある金峰山まで足を伸ばしたかったのだが、その日の内には東京に帰れない。そこで、この峠からスーパー林道を歩いて下山することにしたのである。金峰山山頂の五丈岩を遥か右上に見ながら、単調な林道を歩く。背中の荷が肩に食い込んでくるのに難儀する。一時間程歩いた頃に、後方から来た中型トラックが止まってくれた。荷台には山岳パーティーの一行が乗っていたのである。これに乗せられ、焼山峠を越え、バス停のある集落まで来ることができたのは幸いであった。もしこの時、トラックに拾ってもらえなければ、その日の内に帰れなかった筈である。途中、氷を混じえたにわか雨があり、テントをかぶりながらトラックの荷台から眺めた、飛ぶように過ぎて行く風景が爽快な印象として忘れられない。
塩山から大弛峠へのマップ

20年前の思い出がこのコースの決め手となった。但し、進行方向は逆の登りとなる。

新宿駅前夜発

塩山駅塩平焼山峠柳平(9:30-10:30) 大弛峠(14:00-15:00) 秋山(16:15) 信濃川上駅(17:30)

早朝の薄暗い中を漕ぎ出すので涼しい。広大なぶどう畑を左右にみながら塩平へ。20年前バスに乗った集落かも知れない。焼山峠を越えて柳平に到着。猛烈に暑くなり疲労も激しいので大休止。しかしここからが登りが厳しくなる。半分以上は自転車から降りて歩いていたようだ。相当登った頃に、突如として道が広くなる。これが大弛峠まで続いていたのである。20年前の記憶していたイメージと相当隔たりがあるのには驚いた。周辺の山の斜面は広大な伐採跡地で高い樹木はなかった筈なのに、それが意外の高さに成長していたのである。過去の記憶というものは、あまりアテにならないものである。峠にある山小屋は記憶のままであるが、林道はまるで観光道路だ。徒歩で国師ヶ岳を往復する。
大弛峠(2360m)
奥秩父縦走路を貫くスーパー林道
徒歩でかつて登った国師ヶ岳を往復する。

峠からは下り一方で、左手に聳える瑞牆山と、川上村の広大なレタス畑で作業する人々を見ながら、小海線の信濃川上駅に向かう。途中、恒例の川で行水を済ませてから小淵沢駅行きの列車に乗る。
人気ブログランキングへ

0 件のコメント:

コメントを投稿