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2011年9月4日日曜日

吉村昭:大本営が震えた日

歴史に「もし」は無いにしても、「もし」の可能性を理解しておいても損はなかろう。

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文藝春秋9月臨時増刊号に吉村昭が特集されていた。震災後、「関東大震災」や「三陸海岸大津波」のこの作者が注目されているようだ。多くの作品の中には、他にも「戦艦武蔵」等のような一見小説になりそうもないものまで、記録小説として存在している。彼の歴史小説には、スーパーヒーローは登場しない。幕末の西郷隆盛も坂本龍馬も歴史の群像の一駒に過ぎない。ある強いエネルギーを含んだ時代の空気、例えば「尊皇攘夷」とか「安保」などが、多数の人間を突き動かして行く。この空気が彼の歴史小説に反映されている。

また、戦争を知らない拙者世代としては、先の大戦の作者の戦争観も傾聴に値する。戦後、進歩的文化人と称される人とかマスコミが言う「戦争は軍部が引き起こした、大衆は軍部にソソノカサれた」とする言わば定説化した内容は、作家自身戦時中に見てきたものと随分かけ離れているものらしい。実は一般大衆の多くも熱烈な戦争支持者だったというのである。全部軍部のせいにするのは責任転嫁とみなしているようだ。

定説や他人の学説を鵜呑みにせず、自ら文献を詳細に調べ上げ、自ら現地を歩き、従軍した元兵士や関係者にも直接面会し多くの証言を得た上で記述するスタイルは誇張がなく、正史に置き去りにされた実相を伺い知ることができる。ちょうど読み終えた「大本営が震えた日」もそうである。

121日の御前会議で、開戦日を128日午前零時に決定。その直後、開戦日指令の秘密命令書を積んだ飛行機が中国上空で行方不明となり大恐慌となる。その後の緊迫する一週間を、シンガポール攻略に向かう第25軍の大輸送船団と、ハワイ真珠湾攻撃に向かう海軍機動部隊を中心に記述していく。事前に機密が漏れたとしても後戻りできない状況。電波防諜や偵察の目を欺きながら、奇襲攻撃が悟られぬように密かに展開していく。確かに、このような緻密な作戦は日本のエリートの好む所であるが、一旦破綻すると脆いものがある。また、軍刀を振りかざして武士道を標榜する軍人の超エリート達が、本来侍の恥とすべき、勝つためにはなりふり構わぬだまし討を企図するとは、今更ながら唖然とせざるを得ない。

開戦当日まで、奇襲攻撃を事前に察知されずに済んだようである。ただ、荒れる海上で上陸用舟艇に移乗する際に、約750名の死傷者を出しているというのも驚きである。この艱難をくぐり抜け、予定通りシンガポール攻略に向けて敵前上陸を敢行していった。またこれを支援する第15軍が、ベトナムからタイに進軍する際に、タイ国軍との全面戦争が辛うじて回避されていることも初めて知った。その後の、シンガポール陥落までの怒涛の攻撃は有名なお話ではあるが、開戦直前1週間の実相は薄氷を踏むお寒い内容で、まさにギャンブルである。どれ程の人命が失われようと、お構いなしの無謀な作戦であった。

もしこのギャンブル作戦が初期の段階で破綻したらどうだったであろうか。シンガポール攻略に向かった25軍の輸送船団や真珠湾を目指した機動部隊が、機密が漏れて相手の先制攻撃により壊滅したら、その後の戦況は全く違ったものになった。同時に予定していた香港攻略やフィリピン空爆作戦が出撃直前で中止していたかも知れない。とすれば、南方の石油資源は確保できず、戦線がニューギニアやビルマ方面まで拡大することはなかった。大本営の開戦発表は、損失を過小に伝えウソで塗り固める。これを察したマスコミはやはりダメかとトーンダウンし、大衆の戦意を煽ることはなかったと思うのだが・・・。

もし、戦争が長期化しなければ、あれ程の犠牲者を出さずに済んだ。だが一方、中途半端な停戦で終わっていれば、国の旧体制が維持され、貴族制や旧軍体制や小作人制が戦後も存続していた可能性がある。とすれば、これもゾッとするお話だ。仮にそうであれば、拙者も若い時分に、権益を守るべく独立阻止の為に、朝鮮半島や台湾に兵隊として送り込まれた可能性もあった。そう思うと、結局のところ、何が良くて何が悪かったのか判断に苦しむ所である。

今ある時代は、ほとんど偶然の賜物にも思えてくる。

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