Powered By Blogger

2011年9月7日水曜日

変わる概念:「昔」

末崎町の被災データをネットで検索していると、意外な情報サイトに行き着いた。なぜだか海のない県にある群馬大学のサイトのようであるが、大船渡市内(平成合併前)に存在する津波記念碑のデータベースである。


末崎町内だけでも28箇所ある。其のうち3箇所は泊里の麟祥寺境内にあるのは、何となく気づいていたのだが、それ以外は全く知らない。拙者の部落には2箇所あり、その一つは下の写真で堂々としたものであるが、これさえも情け無いお話だが、どこにあるのか知らないのである。

末崎町小細浦の津波記念碑?
碑文:「ふき出し そのあらなみのはげしさを おもひ出ても かしこむや けふ(福羽美静作)、
末崎村670余人溺死,細浦330余人溺死、天皇初め義捐あり、」
(明治35年6月15日建立)

この建立は、拙者の曽祖父母世代以上の出来事になってしまう。が、祖母の母親以外は、名前も知らなければ写真を見たこともない。個人のファミリーヒストリーでさえあやふやな時代に建立されているのである。そのくらい古い昔の事であり、きちんと伝承されない限り、記念碑の存在意義を正しく理解することは難しいようだ。古い津波の碑と個人個人勝手に思っているだけで、無いよりはマシではあるが、これから危機意識を持つことは難しい。

拙者、小中学校の9年間で、町内にある津波記念碑の存在について一度も教えられたことはない。また、過去の津波がどの範囲に及んでいたのかさえ、地元で教えてもらったこともない。小2の時のチリ地震津波の記憶があるので、個人的には多少警戒心は備わってはいたと思う。が、この津波の記憶が無い若い世代は、警戒心がかなり薄れていたようで、海近くの水田を埋め立てて家を建てている。

津波記念碑はあっても埃をかぶり、誰も注目しない。文語調の文字は掠れ、判読が困難なものさえある。本に掲載された当時の津波被害の写真も、白黒の古色蒼然としたものである。ただ何となく随分昔のことだと、皆は思いがちである。関東大震災の、動きがぎこちないノイズのチラつく白黒の記録映像を見てさえ、同じ印象で捉えてしまう。随分昔の事だから参考にはならないと・・・。

今回は、多くの映像がデジタルデータとして記録された。データは劣化することが無いので、100年後でも昨日の出来事のように鮮明に再生される。とすれば、かつてのように「昔の事」として一笑されることはなく、起こり得る現実的な問題として捉えられるのではないだろうか。

文字を発明し、人類の歴史が記録されるようになった。そして今、リアルタイムでデジタル記録される時代になった。これからは、「昔」という概念が随分違ったものになりそうだ。
人気ブログランキングへ

0 件のコメント:

コメントを投稿