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2011年9月15日木曜日

独日交流プロジェクト

昨日は、ドイツからボランティアチームの第一陣が到着するというので、これをサポートしている高校時代の同級生に誘われて成田まで行ってきた。

「遠くて不便」と思っていた成田飛行場。日暮里から京成ライナーで40分もかからずに到着。都心から遠く離れた不便な飛行場のイメージが、拙者の頭から払拭されたようである。巨大ターミナル駅ではない日暮里駅は、地域によってはアクセスに難はあるものの、乗り換えはスムーズで、ホーム上には冷房の効いた専用の待合室がある。便数は一時間に2-3本もあり、意外と便利である。

1便遅れた友人と飛行場で合流する。当該飛行機は既に到着しているものの、出てくるまで一時間程待った。最初に現れたのがベルリン在住の日本人団長F氏である。その後まもなく、入国審査を済ませドイツ人メンバーがやってきた。大学生が中心と思いきや、一人の青年を除き皆中年以上で、70歳以上のご高齢の方も混じっている。若い世代は、後日バラバラにやってくるらしい。統率好きの日本人団体とは異なり、どこかオオラカである。夜の飲み会で知ったのだが、この唯一の若者は、ベルルンを立つ時には現われず、成田で一緒になったらしい。モスクワで同じ飛行機に乗ったことを成田に来て初めて知った、とF氏笑って話しておられた。
ボランティア・チーム来日

一行は市川のホームステイ先に向かう。今宵は本八幡で歓迎会を催すというので、参加を約し一度別れる。

それまで時間はタップリある。飛行場を長年利用しているが、成田市内を見学したことは無い。そこで、有名な成田山新勝寺まで足を延ばすことにする。残暑が厳しい中を成田駅から旧門前町の参道を歩く。途中から道は狭まり、下り坂の両脇には旅館やお土産屋の歴史を感じさせる古い街並みが続く。汗をかきながら石段をひたすら登っては下り、最後は炎天下を避けて樹林の中を通り、広い起伏の多い境内を一周した。駅に帰る途中、坂の中腹にあった雰囲気ナイスな庭園付きの喫茶店に立ち寄り休憩。かき氷で喉を潤す。
昔懐かしかき氷

坂を登りきり暫く歩くと、トマトを路上販売している所にやってくる。山盛りで200円。激安である。お寺の帰りに買うつもりであった。あれから2時間は経過しているものの、未だ大量に売れ残っていた。200円出して一袋買ったところ、更に一袋特別サービスと行って差し出してくれた。荷物になるので一度は躊躇したが、ご厚意に甘えることにした。

歓迎会のあるビル6階の和風居酒屋には、ちょうど6pmに到着した。半数は地元の方々である。団長F氏の小学校時分の同級生らしい。拙者より10年近く上の世代とは思われない程、皆さん若々しい。ボランティア一行の本日のホームステイ先も、明日の遠野までの移動も、彼ら同級生のサポートに依っている。

会場に入った時に若い女性が居ると一瞬思ったのだが、よく見ると成田で見かけた長髪の青年だった。名前はティルマン君。乾杯後も、お酒を飲むよりは、拙者が教えたばかりの日本語イロハの書き方に熱中している。仕事を辞めてこのチームに参加しているらしい。飛行場で見た時は、世代の違いか一人浮いていたようだったが、横で話してみると実に真面目な好青年である。

会の終にドイツ人リーダーのスピーチがあった。このボランティア・プロジェクトは、例えば大船渡の子供達をベルリンに招待するなど、これを契機に継続していく意向のようである。とすれば、プロジェクトの未来は、今回の訪問成果如何である。遠野から大船渡には今週末移動する。ボランティア作業の合間に、友人が同道し、市役所を始め地元の中学校や高校を訪問するようだ。
歓迎会

震災後にこのボランティア・プロジェクトを立ち上げたのは、団長のF氏である。F氏と友人は、随分以前に、東京の路上でたまたま知り合った仲らしい。以来、彼女がドイツに居るF氏を訪問し、あるいはF氏を大船渡に案内したこともあったようだ。碁石海岸に案内した時、彼女の話では、同伴のドイツ人の奥様が「南仏の海岸のようだ、ワンダフル」と大変感激したらしい。

地理的に不利な気仙の地に、新たな国際交流関係が結ばれることは、刺激の少ない気仙の子供達にとっては大変有難いことである。F氏と友人の奇縁と大震災。ここから始まった友好プロジェクトを未来に発展させて頂きたいものである。
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