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2011年8月31日水曜日

資源の少ない日本?

「資源の少ない日本」と事あるごとに言われるが、本当であろうか。

大陸から孤立しながらも、水が豊富で森林に覆われた国土、周囲には広大な海洋を有し、再生可能な資源に潜在的に恵まれたこの国が、どこが少資源なものか。草木も生えず水もない不毛の砂漠の地下に大量に眠る石油資源のある国の方が、皆さん資源が豊かと考えているようだ。

「資源の少ない日本」と言っている間は、エネルギー自給の可能性を放棄しているようなものだ。どうも欧米の真似をする傾向が明治の頃から強すぎるせいか、「資源の少ない日本」と国民を煽り、足元の恵まれた自然条件を無視して来た嫌いがある。富国強兵の下での重工業政策を推し進めるには、確かに大量の効率的な化石エネルギーが必要だった。そして戦争になれば、相手を圧倒する兵力・火力がいる。石炭、石油の資源確保は、帝国主義の基本とも言えた。自然エネルギーだけでは近代化は果たせず、戦争にも勝てない。だから、国内の潜在的に豊かな自然エネルギーは、水力発電以外は無視されてきたように思える。

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戦後、戦争を放棄し平和を目指す国になった。膨大な兵力を抱える、エネルギー的に不経済なことをする必要がなくなった。自国の防衛だけでよいのである。確かに、大陸弾道ミサイルの脅威はある。が、これだけは一国だけでは対処のしようがない。だから、国連ないしはアメリカ主導で周辺アジアの国々との連携が国防上欠かせないし、これがアジアの安定維持にもつながる。

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大量生産・大量消費の産業経済は、明治からの「富国強兵」策の流れを汲んでいるようだ。エネルギー問題に直面する今日、開国以前の鎖国自給体制にあった江戸時代の産業にも注目すべきではないだろうか。交通・通信が飛躍的に発達した今の地球は、江戸時代の日本と同サイズの感覚で捉えられる。閉じられて市場・限られた資源、当時の日本と今日の世界は同じ環境におかれている。世界規模での持続可能な経済活動を考える上で、江戸時代の自給自足・地産地消的な経済システムに光をあてる時が来ているように思えてならない。

グローバル経済も宜しいが、地球という閉じられた市場・限られた資源を考えれば、多様性が失われた不安定な単細胞社会が地球規模で出現しそうで、拙者的には不安である。10人いれば、個性・希望に応じそれぞれの職につける多様性のある社会の方が、10人皆サラリーマン化するよりも、健全な社会と言える。国家間についても同様で、国単位で固有の文化や自然条件に適した産業・経済を創出していければ面白い。日本も、特にエネルギー政策は欧米のモノマネばかりしないで、固有の自然条件に適した産業を創出して頂きたいものである。

ヤタラ使われて来た枕詞「資源の少ない日本」が死語となり、近い将来「自然エネルギーの豊かな日本」に代わることを期待したい。自然エネルギーで生み出される余剰電力を輸出するだけでも、国民皆な寝て暮らせる!?だったら、より真剣に取り組むはずなのだが・・・。

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158年前に黒船艦隊ペリーがやってきたように、今日、火星から船団を率いた火星人がやってくれば、開国ならぬ「開地球」も考えられるのではあるが。グローバル経済ならぬ宇宙経済!?の出現か。残暑で頭がチト狂ってきたようなので、ここでやめとこう。

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