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2011年9月12日月曜日

田圃は国のお宝

田舎の親戚で作ったコメ30kgが送られてきた。これだけであれば、万が一食料不足に襲われたとしても、半年近くは食いつなげる。収獲するだけでも大変な手間暇がかかると思うと有りがたい。

3.11の震災直後、スーパーの棚から真っ先に無くなったのはコメだった。人間何か食わねばならぬ。しかし、ガラ空きの食料品コーナーを見た時、異様な危機感を覚えたものである。仕方なく、店頭の片隅に残っていたコーンフレークスをまさかの非常用に手に入れた。買い置きのコメを食い尽くす頃までには、買い占めも一巡したらしく、また店頭に現れ始めたので、コーンフレークスで凌ぐ生活は回避できた。やはり、コメは日本人にとり最も大切な基礎食料である。この当たり前のことが、震災で再認識させられた。

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20年前のバブル華やかし頃だったか、コメの貿易自由化問題で賛否激論がなされたものである。もっと安いコメを食いたい、だから自由化すべきと、ご高名な経済学者や産業界の片棒担ぎの連中が盛んにはやし立てたものである。高いなら、拙者的には都内の家賃や大学の授業料を安くしてくれ、と叫びたいところであった。コメだけがやたら高い高いと強調される。まるで、弱い者いじめ、田舎いじめの感がしないでもなかった。食料生産を蔑ろにし、外貨稼ぎの為と称し、大量の産業廃棄物や放射能を生み出しながら、せっせと輸出向けのモノ作り。どこかおかしな話だ。

田舎にいた頃は、家の畑仕事を手伝ったものである。畑は急斜面に開墾されたもので、子供心にも正直農業は大変だと思ったことを今でも忘れない。だが、人間食わねば生きては行けぬ生き物だ。誰かがキツイ食料生産に励んで頂けなければならない。高い・安いの問題ではない。基礎的農産物の自給は、国の義務であると思う。高地や寒冷地など農業に適さぬ条件ならいざ知らず、自国の農地を放ったらかしたまま、食料を安易に輸入に頼ることには大いに疑問である。

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平地の少ない半農半漁の末崎にも、かつては水田が結構あったものだが、今は殆ど消滅した。元々農業は女の仕事、一攫千金を狙える漁業が男の仕事。と、そのように分業されていたが、その後海沿いに水産加工場ができ、女性がそこで働くようになった。お金にならない農業よりは、安定した現金収入が期待できる方を選んだことで、農地は放棄され、農業は衰退した。結局、水田は消滅してしまう運命だった。

同じ岩手でも、コメを送ってくれた親戚は、北上川水系の豊かな穀倉地帯にある。だが、新幹線も高速道路も通る本線沿いには、多くの工業団地が生まれている。農業環境が旧態依然のままであれば、若い世代は農業を捨て、安定した工場労働者になる筈だ。そして、広大な水田であっても夏草が伸び放題の荒地と化し、末崎と同様の運命を辿るとも限らない。

人口爆発で、いずれ深刻な食糧危機に見舞われる。その時、耕作可能な農地を放棄したまま、カネの力で海外から食料を買い漁る態度は、世界中から非難される筈である。そのためにも、若い世代が夢を持って農業に取り組めるような環境作りが急務である。

原発で、農地が汚染されてはたまらない。原子力関連予算は直ちに半減させ、津波をかぶった農地や耕作放棄地の再生事業に回して頂きたいものである。
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