この地の医療の中核を担っていた県立高田病院が、四階まで達する津波で完全に被災してしまった。多くのカルテが消失し、市の住民票も流されと多くのハンディを抱えながら、立ち上がろうとする医療再生活動をカメラが追っていた。医療関係者の方々も被災されているなか、住民の医療活動に携わる姿勢に頭が下がる。
取材中、在宅医療を受けられたご年配の患者さんが、3.11前までは市内の整形外科医院で治療を受けていたらしい。その医院名を聞いて驚いた。末中の同級生T君なのである。患者さんを残しては逃げられないと、医院と運命を共にしたらしい。
彼とは小学生時分から懐かしい思い出が多い。大船渡プラザホテルで催された結婚式にも、末中の他の同級生と共に招待に預っている。体は筋肉質で頑強、短距離走はめっぽう速い。天性のネアカで、困難を困難とは思わぬような楽天的な性格。幼少の頃から、ツー坊と呼ばれ、誰からも愛されていた。患者さんにも人気があったろうと思う。地域医療活動に益々身を入れるべき時に、志半ばで逝ってしまうとは残念でならないし、今でも信じられない思いである。
彼とは小学生時分から懐かしい思い出が多い。大船渡プラザホテルで催された結婚式にも、末中の他の同級生と共に招待に預っている。体は筋肉質で頑強、短距離走はめっぽう速い。天性のネアカで、困難を困難とは思わぬような楽天的な性格。幼少の頃から、ツー坊と呼ばれ、誰からも愛されていた。患者さんにも人気があったろうと思う。地域医療活動に益々身を入れるべき時に、志半ばで逝ってしまうとは残念でならないし、今でも信じられない思いである。
昨年12月、本郷までサイクリングした時に、上京してまもなくの頃、彼がお姉さんと一緒に住んでいたビルが現存している事を思い出した。周辺には大きな大学病院が建ち随分変わっていたが、住所を頼りに探し出したビルは、当然当時のままであった。ビルの5階2号室と思われるあたりを見上げ、40年前のことを懐かしく思い出したのである。
40年前にT君の住んでいたビル (2010.12.04撮影)
取るに足らない事だったので、彼にはこのことを報告していなかった。
そして、3.11の日が来てしまった・・・。
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