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2011年8月2日火曜日

自転人:本郷-谷中

ツー坊の住んでいた本郷のビルに言及したので、当日のその後のサイクリングも紹介しておこう。

次に訪れたのが弓町本郷教会である。かつては本郷台にひときわ高く聳えていたのであろうか。現在は周囲の高いビル群に囲まれ、明治の頃の威光はまるで消えたかのようにひっそりとしている。以前、本郷には仕事で何度も来ているのだが、この教会の存在は全く知らなかった。昨年どういう訳か明治の時代に興味を持ち始め、東京帝大や基督教会が集まる本郷が、当時のアカデミックな地であることを知ったのである。
 弓町本郷教会 (2010.12.4撮影)

後に同志社大学総長となる海老名弾正が開いたのが、この教会のようである。日露戦争直前、弾正はロシアとの開戦を支持していたようだが、寛容なことに非戦論者の社会主義者・木下尚江にも演説の機会を与えている。その激論が交わされた場所がこの教会なのだろうかと、100年以上の時を逆転させてみたのである。当時東大の学生だった、後の大正デモクラシーの立役者、古川出身の吉野作造もこの教会の若手メンバーで、木下尚江とも交友していたようである。

東大龍岡門脇の坂道を下り、不忍池までは出ないで、ギャンパスの境界に沿って進むと右手に竹久夢二美術館がある。未だ入館したことはない。
 竹久夢二美術館

平坦な道を進むと根津・千駄木・谷中いわゆる「やねせん」地区に入る。上野の山と本郷台に挟まれたこの谷は、関東大震災や空襲の被害が少なかったせいか古い町並みや寺社が多い。拙者の都心サイクリング最終折り返し点が、この谷中であることが多い。ここで、行動食用に好物のおいなりを買うのだが、この日はどうだったか忘れた。
 谷中の商店街を振り返る

上の写真は、谷中商店街から日暮里に抜ける道の高台から振り返ったところである。この近くに、本行寺がある。社会主義運動から退いた木下尚江が、大正に入り岡田式静坐法と出会い、修養の糧としたようである。その静坐法の実践会場がこのお寺で、各界の名士から無名の学生まで多数参加したようである。早朝、参会者は日暮里で電車を降り、丘の上のお寺まで登ってきたのだろうか・・・とそんなことを想像してみる。

師走の午後は短い。家路に向かいひたすら自転車を漕ぐ。
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