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2011年8月8日月曜日

復活:気仙のけんか七夕

NHK7時のニュース冒頭で、陸前高田の七夕復活の予告があった。高田町の「うごく七夕」の実施についてはツイッター等で知っていたので、そのことかなと期待しながらTVの前で待機していた。その間、思わず瞼に涙が湧き出て来るのを覚えた。いよいよそのニュースが始まると、気仙町の「けんか七夕」の方であった。四台のうち三台が流され、残った一台の山車で開催したようである。
 気仙町の「けんか七夕」復活のニュース

やはりと言おうか、全国的には「けんか七夕」の方が有名だったようである。ともあれ、復活のニュースを聞いて、依然涙が止まらなかった。気仙町は親戚・友人はおらず個人的にはあまり縁が無いのだが、旧気仙郡の地名を冠するだけに伝統と歴史のある町である。

それにしても、七夕の山車が僅か四台だったとは意外に少ないと思った。かつての末崎では、拙者の記憶では細浦地区の7台、記憶にはないが泊里地区や門の浜地区も合わせれば、それこそ十台以上が競っていた訳であるが、廃れてしまった以上自慢にもならぬ。気仙町のような、町を一つに結びつける伝統行事が無いというのは、今回の危機的状況に際して、寂しい思いがする。もし、昭和20年代に市にならずに、気仙郡末崎村として自治を存続していれば、七夕が廃れることは無かった筈だ。仮に廃れたとしても、すぐに復活できたと思う。町村合併で大船渡市となり60年。末崎町をひとつに纏める機関は、現在あるのだろうか。もし町がひとつになり、七夕に力をいれていれば、高田町のような華やかな飾り付けやネブタのような豪快な絵で、どこの七夕よりも華やかなものになる可能性があったと思う。

気仙町は壊滅的な被害を受けたが、夏の伝統行事に対する町民の厚い思いや誇りは、依然として変わらぬものがある。

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一方で、「おいおい本当かよ」と唖然とするニュースも・・・。
  
<京都市で16日に行われる「五山送り火」の一つ「大文字」の護摩木として、東日本大震災の津波で流された岩手県陸前高田市の松を使う計画が、放射性物質の汚染を不安視する声を受け、取りやめになった。>

地理的音痴も甚だしい。東北を全てフクシマと考えているようだ。高田松原の松は、一本残し全ては津波でなぎ倒されたが、原発が放射能を海に垂れ流す前のことではないか。原発からの距離も200-300kmは離れている。そんなに放射能が気になるなら、お隣福井県には原発11基もあるではないか。しかも距離的に、フクシマ原発-陸前高田間より遥かに近い。日々空中に漏れ出た放射能が風で運ばれ、京都上空を浮遊していることを考えたことがないのだろうか。些細な事に目くじらを立てること理解に苦しむ。そんなあり得ぬ汚染の心配よりも、若狭湾の11基の原発から漏れ出る放射性ガスによる被曝を心配するほうが現実的ではないのか。高田松原の松の木よりも、地元の木の方が汚染されているかも・・・。

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