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2011年6月28日火曜日

末崎村と伊能大図

今から10数年前のことと思うが、アメリカで伊能大図がほぼ完全な形で発見されたというニュースがあった。伊能忠敬の作成した詳細な日本地図は、幕末・明治の頃に貴重な軍事資料としてあまり公にされず、増刷もされなかったのであろう。その後の関東大震災や戦時の空襲で一部を残し無くなっていたらしい。幸運なことに、この幻の大図が、外国で見つかった訳である。

いつか日本で公開されることを待ち望んでいたところ、それが2004年に実現した。
以下、その時に撮影したものである。

会場の日大文理学部体育館


末崎村周辺

上の地図は、1800年頃の末崎の様子である。右から、細浦、小細浦、門の浜、泊里、碁石の五つの集落が確認できる。船河原付近には集落の記号が見られる。現在は、自動車や水道の普及で結構高い場所にも住宅地が広がっているが、当時は漁業を生業としており、また水の便のよい浜沿いに集落が形成されているのがよくわかる。そして、これら歴史ある地区が今回被災したのである。



気仙周辺

大船渡湾に浮かぶ小さな半島の末崎地区だけでも、5-6箇所の海沿いの集落が被災している。三陸沿岸には更に大きな半島がいくつも存在しており、さらに多くの被災集落が分散している筈だ。大船渡線を流失して末崎は交通アクセスが一気に悪くなったが、もっともっと不便な地区がまだまだ多い。十分な支援の手が届かない地域が沢山あるはずだ。山田町のあるサイトを見ていたら、支援の車やボランティアで町が溢れているとは一体どこの話だろうという嘆きの言葉を見つけた。被災の範囲を考えてみた時、むしろこちらの方が現実ではないだろうかと思わざるを得ないのである。






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