我々には、小中学時代のアルバム集が無い。特に小学校の頃は写真を撮ることはほとんど無かった。小6の卒業写真だけは唯一例外で、クラスメートで揃ったもの、2泊3日の修学旅行の時のものは、スナップ写真さえ無い。それが、6歳下の妹たちの場合は、実家に沢山残っている。
少ないながら、皆から集めれば、意外と面白い写真集になるのでは。打ち合わせが終わってから思いついたのだが、文章やイラストを集めてみるのもよい。
我々の小学校時代は昭和30年代である。あの頃を境に生活様式が土着的なものから今風に大転換した時代であり、我々の世代がこの最後の目撃者である。
小学生時分に起きた変化はザッと以下のとおりだ。
- 項目 小1の時→小6の時(東京五輪開催時)
- テレビ 無し→普及
- 冷蔵庫 無し→普及
- 洗濯機 無し(タライ、洗濯板) →普及
- 照明 裸電球、一部ランプ→蛍光灯
- 水道 無し(水瓶に水汲み) →普及
- 炊飯 竈、七輪→プロバンガス、電気釜
- 暖房 囲炉裏、火鉢→コタツ(炭、練炭から電気式に)
- (小学校の暖房 薪ストーブ→石炭ストーブ)
- 車両 馬車あり→馬車消滅、徐々に自動車(三輪車やミゼットから四輪車に)
- 鉄道 蒸気機関車→ディーゼル機関車
- バス ボンネットバス→今風のバス(鼻欠けバスと呼んだ)
- 新たに追加・・・・
- 蚊対策 蚊帳→蚊取り線香
- ハエ対策 蠅取器、粘着ロール紙→便所に殺虫剤
- ハエ対策2 幼児安眠用ネット→無し
- 小舟(カッコ) 櫓や櫂→船外機
等々・・・・・
以上の変化は、6歳下の妹(拙者が中1の時小1)にはおそらく全く記憶が無いだろう。
一方では、廃れてしまった伝統行事もある。特に、子供たちには最大のイベントだった「動く七夕」(この動画は陸前高田町のもの、末崎のはこれと盛町の「あんどん七夕」を折衷した形だった・・・)が、忘れもしない小4の夏休み直前の朝礼で、中止宣告させられたことは今でも思い出す。この山車の写真は見たことが無い。神坂部落で後に一夏だけ再興したと聞いて久しい。大正10年生まれの親父に聞いてみたら、子供時分に既にあったらしい。今となっては、マボロシの伝統行事となってしまった。皆の記憶を頼りに、この七夕をイラストで再現してみるのも面白い。
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後記:記憶を頼りに、拙い七夕のイラストを描いてみたので、ここにもアップしておく。
末崎の消えた七夕
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