本郷菊坂の井戸の件は、いずれ再訪し確認してみることにする。
取るに足らぬことであるのだが、以下は本郷菊坂に強引に結びつけた末中修学旅行の想い出である・・・。
さて上の写真であるが、旅館右の道を下ると、丁度菊坂の登り口付近に合流する。
数年前、仕事で偶然この細い急坂の道を利用した時にオヤッと思った。旅館の角を右折し、玄関を通り過ぎて坂道の反対側のニ階を見上げた。案の定、物干し台があった。間違いない、きっとそうだ。
四十数年前、中3の修学旅行で、この高台の旅館に一泊しているのである。当時の写真や旅程表は残っていないが、決め手は三つ。「文京区」、「眺めのよい高台」、そしてこの「物干し台」である。クラスの誰かが、お世話になった美人バスガイド嬢に住所を聞いていた。メモをチラッと見た時にそれが「文京区」。この旅館と同じ区だと、拙者の脳裏にハッキリとプリントされた。田舎のガキでも、都会の美人にはひと方なる感心があったようだ。
翌朝、学生服の胸にネームプレートを付けた中学生の一団が、旅館の坂道を下っていき、菊坂口近くで待機していた観光バスに乗り込んだ。二重橋前、国会議事堂、東京タワー、鎌倉、箱根へと、修学旅行3日目の強行ツアーが始まった。
バスが発車する時に、本郷菊坂や一葉に関する説明は一切無かったと思う。普通の住宅街であり、団体客がゾロゾロ行くような観光スポットでは無い。ちなみに、彼女の終焉の地もこの近所であるが、今は通りに面した大きなビルが鎮座しよくわからない。本郷台の崖下にその借家があったらしい。崖だけは確認できた。彼女の惜しまれる死から70年後、我々中学生一団が近くをウロウロした訳である。後に、5,000円札の肖像になるなど、思ってもみなかった。
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