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2016年7月24日日曜日

明治時代が日本の目指すべき体制か…?


明治維新は、薩長の下級武士を中心とし、尊王派の貴族や若者、それに外国の武器商人等が結託し起こした、いわゆる軍事クーデターではなかったのか…。(歴史についてはド素人の見解ではあるが。)

維新までの過程はどうあれ、多くの国民がそれによって長期にわたり幸せになれればよいのである。で、現実はどうだったか。

富国強兵策にともない産業が急速に発達するが、鉱毒問題などの公害や劣悪な労働条件の問題は無視。貧富の差も拡大…云々。そして大陸に権益を求め、戦争・戦争のオンパレード…。結局80年にも満たずして、内外に無数の犠牲者を生み、主要な都市はことごとく空襲で焼き払われ、崩壊してしまった。この僅か人の一生程度の期間で、一般庶民は江戸時代より幸福だったのだろうか…。

さて、憲法改正問題に戻るが、自民党の憲法草案を見ている限り、多くの人々を不幸に陥れた明治・大正・昭和の戦前の社会を一つの理想形としているように思える。何故、あの不幸な体制に戻ろうとするのか、歴史が証明しているのにもかかわらず…。

草案は一つのたたき台で、これから議論するということだろうが、本音は変わらない。ちょっとでも隙をみせると、とんでもないことになることは明白である。

大阪冬の陣で、豊臣方は和睦に応じ、大阪城の外堀を埋めることに同意する。だが、内堀までも埋められてしまい、城の防備が弱体化。夏の陣で豊臣家は滅んでしまう。「アラブの春」でも、民主化どころか、イスラム原理主義派が選挙で勝利し、以前より酷い状況に陥っている。かくの如く、改憲のドサクサに便乗し、とんでもない社会に変容するとも限らない。

国内の改憲運動も、(ネットで調べた乏しい知識であるが、誤解を恐れずに言えば…)神国日本を理想?とする、言わば日本版「原理主義派」が中心となっているように思える。

休日に、国旗を掲揚する家があるかな…。昔は結構見られたものだが、最近は見た試しがない。いわゆる、日本版原理派の人は、周囲にはなかなか居られないレアなお方と思って間違いない。そういう方々が、改憲運動の中心勢力になっていることを、一般国民はどこまで認識しているのだろうか…。

国民は、権力者の本音を知らず、美辞麗句もどきに弱い。満州の「五族協和」、戦時中の「戦争は文明の父…」とか、原発では、「核の平和利用」、「安全でクリーンなエネルギー」、最近では、「美しい日本」、「美しい憲法…」とか。一体何をもって美しいのか、要注意である。将来、原発からの放射能で汚染されることが美しい日本なのだろうか。


現実は、油断も隙もないのである…。

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