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2011年10月11日火曜日

続2: 竹橋事件

大和魂も精神力も通じぬ近代戦で国土が焦土と化し、無条件降伏を受け入れざるを得なかった我が国が、一歩誤れば世界の地図から「日本」というニ文字がかき消されてしまう危うい危機的状況に陥った。これは、文明開化の明治維新から僅か77年後の事である。この77年間の何時何処で、昭和208月の暑い運命の日に向かって突き進むようになったのであろうか。歴史は複雑怪奇である。が、この肝心な事が拙者の頭の中で整理し得ないもどかしさがあった。これが、江口渙の「少年時代」を読み、多少は解消されたのである。

文明開化の明治維新、これを象徴する五箇条の御誓文の一つ「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」の精神。これがいつどのようにして反故にされてしまったのか。「少年時代」の作者江口渙は、明治11年は発生した竹橋事件に端を発しているとみている。


竹橋事件(明治11)は、作者が生まれる9年前のことである。近衛砲兵隊の一部が、西南戦争(明治10)の差別的処遇が引き金となって暴動を起こした事件である。確か田山花袋の回想記だったと思うのだが、この騒動の銃撃戦音を遠くで聞いている。皇居を守備するのが近衛兵。そのお膝元の兵の反乱に、軍の上層部は大きな衝撃を受けた。これを反省し、数年後に軍人勅諭が発案され、軍の厳しい統制が確立されたというのである。曰く「上官の命令は、天皇の命令」と。後年、戦時中においては無謀な作戦と知りながら、上官の命令には逆らえず、多くの皇軍兵士が犠牲となったことは周知のことである。また明治22に発布された帝国憲法では、天皇が軍を統帥することに定められた。竹橋事件以降、昭和の時代を不幸に陥れる小細工が次々と仕組まれていったのである。考えてみれば、先の大戦の指導者の多くは、作者と同じ明治中期生まれである。かれらの精神構造は、保守反動の時代の流れで醸成されていったものに違いない。

政府に統帥権が無いのを良い事に、軍が独善的な (軍事)行動を取り、大陸においては侵略戦争を仕掛け、国内では言論・社会活動を厳しく監視してきた。旧軍の厳しい統制や統帥権の帰属が、この竹橋事件に起因していたとは意外である。今日、一般には忘れられた事件だが、実は戦前の悲劇の歴史の起点となった事件というこのになるのだ。

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もう一つ、同時代の人物による証言を紹介しておく。やはり拙者の疑問に応える内容につき、メモしていたものである。江口渙よりも20歳年上の評論家、内田魯庵(慶応4-昭和4)が、大正10年頃の随筆集「貘の舌」に、明治維新の改革とその後の保守反動の様子を、皮肉をまじえて次のように記しているのである。

  1. 改造の議論は喧しいが、断行の勇気ある者が一人でもあるか。維新の改革者は皆真剣だった。議論するよりは直ぐ実行だ。そのテキパキしたやり口はロシアの過激派ソックリだった。若い伊藤や大隈が牛耳を取って所謂築地の梁山泊は当時の過激派の牙城であった」と、当時の覇気のない政治と対比し、維新の改革の凄まじさを述べている。
  2. 50年前旧弊の冷罵に葬り去った封建の風俗習慣はおろか、思想までイツとなく復活して来た。」この例として、次のように列挙している。「武士が無いのに武士道、古美術の高価な売買、伝統行事。」そして「このまますれば、日本全国が古い風俗習慣や思想や信仰の活きたミイラと化石してしまうのも余り遠くはなかろう。改造どころの沙汰じゃない」と皮肉っているのである。そう言えば、将校の記念写真を見ると、皆誇らしげに軍刀を脇に抱えている。維新の廃刀令が、軍人特権かどうかは知らないが、完全に反故にされ、まるで江戸時代の武士のマネ事ではないか。
  3. こんな何でも無い説でさえ今ではウッカリ云えないのだ。何でも日本を世界一の強い国世界一の人道国、万邦無比の神州と盛んにお国自慢をしないと忽ち非国民扱いされる。まがり間違うとぶんなぐられる」と、大正10年頃、既に戦前の軍国主義的思想が一般社会に浸透していたのである。一方で、その当時世は大正デモクラシーと呼ばれているが、本当だろうかと疑わざるを得ないのである。
  4. 立憲国という有難い国となってからが却って言論が不自由になった。我々売文舌耕の徒は虎の尾を踏むように戦々兢々としてコンな事を書きながらもビックリシャックリだ」とペンを置いている。五箇条の御誓文「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」の精神が、帝国憲法によって完全に反故にされたのである。
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日本丸は、明治維新を迎え文明開化と改革断行に大きく舵を切った。ところが、維新の三傑(西郷、木戸、大久保)が逝った直後に発生した竹橋事件を境に、保守反動側に徐々に舵がきられていった。そして、その舵が修正されることなく巨大な氷山に向かって加速していった。拙者の疑問、「いつから軍国主義が醸成されたのか?」。その一つの回答らしきものが、江口渙の「少年時代」から読み取れたのである。

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