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2011年9月11日日曜日

ノーモア・ アゲイン

3.11から半年、そして9.11WTCの悲劇からは10年。拙者の人生の中でも最もショッキングな事がこの10年間で起きている。

前者では、自然と原発の脅威が改めて認識された。これまで信じ長年積み上げてきた経済優先の社会システムが、実は脆弱であることに皆気づいてしまった。後者はテロ攻撃であり、一般市民を平気で巻き添えにする凶悪な人間性に、唖然としたものである。

極端な思想・信条を持つ極少数の人々は、どの国でも何時の時代でも存在する。これも社会の自然の仕組みと考え、ある程度許容していくことは、戦前の思想弾圧のことを省みれば納得できよう。だが、暗殺や一般市民を巻き添えにしたテロ攻撃など、デモクラシーを完全否定する暴力テロに発展するのでは、たまったものではない。

インターネットの普及が、テロリストの活動を後押ししているようだ。9.11が、それを象徴している。これ以降、彼らは国際テロリストと呼ばれるようになった。以前ならば、彼らは自国の地下活動に終始していた筈だ。ネットの普及で、地球規模での活動が容易になった。ローカルでは少数でも、世界中から同調者が集まれば、強大な勢力になる。彼らは能力もあり、金融取引や密輸により巨額の利益を得るノウハウがある。経済小国ならば、乗っ取りも可能である。そして、政治を独裁し、原発を導入し、地下で再処理を行い、核爆弾を製造する。そして、これを他国に密輸する、あるいはテロ攻撃に使用する。実にあり得る話しである。

9.11以降、テロとの戦いが始まった。それまで戦争とは国家間の争いだった。かつては冷戦時代と言われ、アメリカとソ連の二強国家が核兵器の開発にしのぎを削り対峙していた。それが、今日ではお互い見えぬテロリストの脅威に怯えている。

一難去ってまた一難。時代が変わっても新たな脅威が発生する。それが人間社会であり、逃れられない運命にあるようだ。我が国も然り。ノーモア・ヒロシマが、ノーモア・フクシマだから皮肉なものだ。歴史は繰り返すとは言うが、人の予測を裏切る形で繰り返すものだから厄介だ。
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