彼らの存在を初めて知ったのは、中3の修学旅行で訪れた三越本店のレコードコーナーである。デビュー版レコード「僕のマリー」だったか。このジャケットを目にした時に、また新たなGSグループが誕生するのかなと思った程度であった。
昭和42年4月の事である。それより更に40年前と言えば、大戦を飛び越えて昭和2年になってしまうが、どうでも宜しい・・・。当時は数年前のスパイダースの登場以来GSブーム全盛の頃で、テレビの音楽番組もGSで席巻され、それまで主流の演歌や歌謡曲は一時脇役的存在になってしまった。拙者的にも、これら伝統の所謂流行歌にはどこか馴染めないものがあり、新しいサウンドの出現にワクワクしたものである。今日でも、この強烈な印象があるせいか、演歌を聴きたいとも歌いたとも思わないのであるが・・・。
デビュー後まもなくして、人気に火がつき、大御所のスパイダースやブルコメ等の並み居るバンドをぶっちぎりの感があった。テレビで放送されるライブコンサートでは、若い女性達のキャーキャー声と熱狂は凄まじい物があった。どこか虚弱で守ってあげたい雰囲気の「大和撫子」が、此頃を境にして猪突猛進の女、ナデシコ・ジャパンに変質してしまったようだ。
YouTubeで当時の映像を検索してみたが無かった。あるのは、その後収録された懐メロ的番組のものばかりで、生々しいエネルギーが感じられないのは残念である。今の若い世代に、当時の凄まじさを説明しようにも、証拠映像がないのではお話にならない。
今日のライブコンサートの集客力は、球場を満杯にしてしまう程凄まじいものがある。気の利いた小さな町に行っても、一軒はライブハウスがある時代だ。音楽文化が、CDやネットの普及で全国隅々に浸透しているようだ。だがあの頃の異様な熱狂はあるのだろうか。人気バンドのコンサートに出掛けたことはない。が、映像で見る限り、確かに皆スタンディングでリズムに合わせ体を揺らしているようだが、どこかスポーツ応援のように統制されているようにも見える。GSの頃の、アナーキー的とも言える、理性をかなぐり捨てた若い女性達の凄まじい絶叫が、今では懐かしい。
ザ・タイガースの再結成で、60代のオバサマ族はソワソワしているかも知れない。家庭に束縛された?40年の時を取り戻すべく、一夜限りの青春を爆走しそうである。
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