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2011年8月10日水曜日

輪行記録:1994年夏(2)

引き続き、1994年夏の輪行記録をアップする。

輪行日: 1994.8.27

新宿発8:30pm、上越線浦佐駅下車11:40pm、駅前ベンチで仮眠

浦佐Start(4:20am)→小出(5:00am)→枝折峠(9:00am)→銀山平(9:30am)
      県境(0:30pm)→御池(3:30pm)→檜枝岐(4:30pm)→只見駅Goal(7:00pm)

尾瀬は何度も歩いている。周辺のハイキングマップを見ると、新潟口は湖を船に乗って銀山平に着き、そこから歩いて三条の滝を見ながら尾瀬ヶ原に登ってくるようである。山で船に乗るということに惹かれ、どんなところを通りやって来るのか興味があった。これが、今回のコース設定の決め手である。周辺の著名な山々の登山口もチェックでき、皆ここから登るのだと知っておくのも面白かろう。
 ルート: 浦佐→銀山平→檜枝岐→只見駅

小出の町を抜けると周辺の家々の一階部分が高くなっている。冬は豪雪地帯であることを思わせる。未だ登ってことがない越後駒ヶ岳を右にみながら、枝折峠への道を登る。一部通行止めの箇所があるらしく、車は全く通らない。自転車を漕ぐ度に、折り畳み部のクランプからギーコギーコと音がする。当時の折り畳み機構は、今日に比べ未熟だったようである。枝折峠では越後駒ヶ岳の登り口を確認。峠を下り始めると道路工事箇所があったが作業者はだれも居らず、問題なく通過できた。

ダム湖畔の銀山平からの道は、奥只見湖に落ち込む急斜面に切り開かれており、カーブや登り下りの連続。しかも強烈な日差しの下で、奥只見湖奥岸に達した頃には、体力の消耗が激しかった。そこから続く昼の炎天下の御池までの長い登りは、自転車を引いて歩いていることの方が多かった。登山と同様、休まず歩いていればいずれ峠に達する。途中、平標山、尾瀬ヶ原、燧ヶ岳の登山口を確認する。

予定時間を遥かにオーバーしたので、御池からの長い下り坂は殆ど休まずペダルを漕ぎ続ける。途中、昔の趣のある檜枝岐村の集落を一瞥するだけで通過してしまったのは残念である。会津駒ヶ岳の登り口も確認。

途中夕立に遭うが、ずぶ濡れになりながら先を急ぐ。むしろ、汗が流れて爽快である。これだから、夏のサイクリングは楽しい。只見湖に着く頃には濡れた衣服は乾いていた。駅前で自転車を収納し、小出行きの最終列車に何とか間に合った。


輪行日:1994.9.3

新宿前夜発、松本駅で松本電鉄に乗り換え新島々駅に

新島々駅Start(4:30am) →奈川村(9:00am)→野麦峠(10:30am)→分岐点(11:30am)
        →長峰峠(0:30pm)→御嶽神社(2:00pm)→上松駅Goal(3:30pm)

新島々と言えば北アルプス玄関口の一つである。電車を降りた登山者は、ここでバスに乗り換え上高地に向かう。拙者は自転車を組み立、静かになった駅舎を後にする。途中まで同じ道を通り、殆どの車は右折し梓川を渡って行くのだが、拙者はそのまま直進し、女工哀史で知られる野麦峠(標高1622m)への道を一人静かに辿る。
 ルート: 新島々→野麦峠→長峰峠→御嶽神社→上松

古い街道沿いの家並みは、時間が止まった趣で、往時をしのばせてくれる。車の往来は少ない。途中、公開している古民家があり中を見学した。ここで回想するのは当然、正月に飛騨側に帰省する十代の乙女達の姿である。峠は標高が高く冬は厳しそうだ。製紙工場のある岡谷から、何日かけてこの難所を越えていったのであろうか。思いは尽きない。

峠への勾配が一層きつくなる地点に旧道の分岐点があり、車道を離れこちらを登る。完全に山道である。自転車を引いて登る。登り切るとそこが峠で、車道も合流する。乗鞍岳がよく見える。

下りは野麦の集落を過ぎると、旧道と新道に別れていた。最初、新道をとるが勾配が厳しいので、沢筋の旧道に変更する。結局合流するのであるが、旧道は狭いが、山を高巻いてはおらず、緩やかな下りが続き、走りやすい。

ダム湖近くの分岐点に至る。右折すれば高山方面。だが、ここを左折し木曽谷方向に道をとる。長峰峠を越えると、御嶽神社まで豪快な下りが続く。木曽福島に出た所で、国道を妻籠方面に向かうことにする。ところが、峡谷の幹線道路は大型車両の通行で忙しなく、のんびり自転車に乗っていられない。適当な抜け道を探そうにも、右手に木曽川が迫り、無いのである。上松に着いたところで断念。木曽の風情を感じさせてくれる古い町並を散策。そして塩尻・松本行きの列車に乗り帰路につく。

幹線道路のサイクリングはコリゴリである。やはり、静かな旧街道や山里の道をのんびり辿りたい。

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