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2016年4月2日土曜日

名曲 - 末中校歌

( たまには故郷の思い出、投稿しないとね…)

全国津々浦々の学校では、新入生を迎え入れ、新学期が始まった。

さて、当方が末中(マッチュウ)に入学したのは半世紀前…。式は旧体育館で行われ、そこで校歌を初めて耳にした。先輩方が起立して歌ってくれたのだが、最初何やら念仏を唱えているような感じで全く分からなかった。ニ番に入り、「ごいしは~」と聞き覚えのある地名が耳に入ってきて、やっと「校歌だ」と認識した。式の前後は全く覚えていないが、この一瞬だけは、何年経とうが脳裏に焼き付いているから不思議である。

一番は、いきなり「函嶺」で始まり、「水天~」、「紫金~」、「産土の~」と、何やら辞書がないとわからないような高雅な響きの歌詞のオンパレード。だが、我ら地元っ子なら、自然とその大意を汲み取ることができる。これぞまさしく末中校歌!!

三番目の「新生日本の~」は、当時の時代背景を示している。開校が昭和22年、戦後二年足らずの頃である。敗戦から一転、民主化の波が、陸前の地まで押し寄せてきたことを感じさせてくれる。

その後、高校・大学と進んだのだが、校歌はいずれも最後に校名を連呼する内容、しかも1番から毎回、この陳腐なフレーズが繰り返される。正直、食傷気味になる。その点、末中校歌には、校歌にありがちな「我が母校~」とか校名の連呼が全く存在しない。言わば、校歌らしくない校歌、奥ゆかしい校歌と言える。だから、何度歌っても、飽きることがない。これ即ち名曲なり、である。

一方、末小(マッショウ)の校歌も佳曲で、なかなか捨てがたい。末中校歌同様に奥ゆかしく、歌詞は明快。6年間歌って来たわけだが、その後同級会で歌った記憶が無い。末中校歌があまりにも立派過ぎるので、その影に隠されているのかもしれない。ちょっと残念ではある…。

末中校歌は、シタボさんのブログにあったので、ご参照下さい。


末小校歌は、別の機会にでも紹介したい…。


末中の地鎮祭(推定:昭和23年頃)
※末中創立50週年記念誌「函嶺」より採取

(現在地に校舎を落成したのは昭和245月と記されているので、その前年と思われる。)

五本松の斜面は完全にハゲ山状態!! 戦時中、松根油を採取するために乱伐されたようである。五本松に登る山道(斜面中腹の左肩上がりになった道)が確認できる。子供時分はよく利用したが、現在は誰も山に入る人がいなくなり、完全に廃道となっている。


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