時代の変化:
新宿駅南口の雑踏が、御苑手前の都立新宿高校まで続いている舗道を通過する。高校案内のようで、校内には父兄(とはいっても殆が母親)が行列をなしている。高校も、いよいよお受験ブームか。随分異様な光景である。
四谷駅前を通過し、九段まではできるだけ平坦な道を選ぶ。この坂を下り、首都高下の橋を渡ると、見慣れた神保町外れの街並みである。ここには、10数年間時々来たものである。というのは、DTP(デスクトップパブリッシング)データの大手出力サービスセンターがあったからである。マッキントッシュ・パソコンでレイアウトしたデータを、印刷用製版フィルムに4色分版出力してくれる。当時は、DTPの黎明期であり、出力不能のフォントが紛れ込んでいたり画像リンクが外れていたりと、いろいろトラブルが発生したものである。締切期限が迫り、ドキドキしながら原稿の出力結果を祈るように、近くの喫茶店に入り暫し待っていた。大通りの反対側にあるその1Fのオフィス付近をみたら、どうも様子がおかしい。横断歩道を渡り、そのビルの前にくると、賃貸の案内である。少なくとも数年前までは、Macパソコンが何十台も整然と並び、周囲には高額な出力関連機器が置かれ、何十人もの専門スタッフが働いていたオフィスである。それがもぬけの殻なのだ。最近の印刷前行程は、製版フィルム不要のCTP(Computer to plate、直接製版)の時代に完全に移行したようである。印刷データをPDFに変換。そして、地方の印刷会社にメールで送信すれば、中2-3日程度で高品質の印刷物が宅配便で届くようになってしまった。しかも低料金である。高い都心の家賃では、かつて隆盛をきわめた出力サービスセンターとはいえ、ビジネスとして成り立たなくなってしまったのである。
神田古本祭:
その賃貸に出されたオフィスの側で女性が電話していた。よく見ると、見覚えのあるお顔である。向こうも気づいた。かつて拙者の近所にあった中華レストランを手伝っていた上海出身の娘さんである。神保町にも出店したことは聞いていたが、この賃貸に出されたオフィスの隣がその中華レストランとは奇遇であった。彼女、神田の古本祭に来たものと思ったようである。古本屋街方面を見ると確かに多くの人が集まっている。彼女にいずれの来店を約し別れ、予定を又々変更し、古本探しをすることにした。
何店舗も回ったが、目指す本はなかなか見つからないものである。が、以下の古本4冊を入手した。
一葉日記*、湛山回想、東京の三十年(田山花袋)*、生い立ちの記(島崎藤村)
(*は以前読んだことがある本)
本日は一葉記念館にいく予定だったので、一葉日記とは丁度よい。以前読んだものは一部省略されていた。完全版であるのは嬉しい。湛山回想は、石橋湛山の回想記である。明治、大正、昭和と、暗黒時代を生き抜いたジャーナリストの人生の軌跡と思われる。同じ、リベラルのジャーナリスト、清沢洌の戦時中に密かに記録していた「暗黒日記」において、湛山を次の様に評価している。
「日本は戦争に信仰を有していた。日支事変以来、僕の周囲のインテリ層さえ、ことごとく戦争論者であった。・・・・事実、これに心から反対したものは、石橋湛山、馬場恒吾君ぐらいのものではなかったかと思う。」(昭和19年4月3日)
花袋の「東京の三十年」は、明治文壇の貴重な回想録である。再読してみることにする。
帰路:
2時間程、古本屋街をうろつき回る。暗くなる前に、往路とは別の道を辿り家路につくことにする。北の丸公園に出る。皇居のジョギングコースから車道を隔てた右手の小高い丘の洋館を以前から気になっていたのだが、初めて立ち寄ってみる。国立近代美術館の工芸館となっていた。以前から、旧軍関係の建物とは思っていたのだが、やはり旧近衛師団指令本部であったのだ。建物の右下には馬にまたがる銅像があった。誰だろうと近づいてみると、なんと「北白川宮能久親王」である。これも意外であった。というのは、吉村昭の歴史小説「彰義隊」の主人公、輪王寺宮その人だったからである。公には、台湾遠征中に病死したようだ。だが、江口渙の説では、実は峠で狙撃されたらしい。皇室出身の高貴な軍人が狙撃されたとは責任問題に発展しかねないと、死因を病死にして発表したというのである。真実は果たしてどちらかであろうか。後者の方が説得力があると思うのだが・・・。
雑踏の新宿を回避するため、信濃町駅から神宮外苑を行くことにする。多この人が一方向に歩いて行く。CMシリーズのヤクルト:巨人の二戦が夜あることに気づいた。神宮球場近くに寄り道する。やはりそうである。野球のファンは年配層とマスコミでは言われているが、どうしてどうして、若い世代、しかも女性ファンが意外と多い。マスコミ報道もいい加減である。おそらくサッカーを比較してのことだろうが、こちらはプロ化して未だ20年である。比較するのがおかしい。また、同じ球技といっても、ゲーム形態が全く異なる。野球の良さは、誰でもがヒーローになれるチャンスがあることだ。非力のバッターでも、打席に立てば、ゲームの主人公である。野球はカラオケ的である。歌が下手でも、マイクを握ればコチラのもの。誰も聞いてなくても、大声で歌って気持ちよくなればよい。カラオケ好きの多いこの国には、野球がよく似合うと思うのである。
夜の帳が下りる前に帰着することができた。走行距離は10-15km程度くらいか。紅葉にはまだ早い都心のサイクリング。疲労感が心地好い。
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