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2017年7月13日木曜日

洪水は人災…


近年の洪水被害報道を観て感ずることは、流木の異常な多さである。しかも激しい流れに身を任せ暴れ狂う丸太が多い。巨木が直撃すれば家屋はひとたまりもない。橋げたに引っ掛かれば一時的なダム現象が生じ、決壊することで下流域に更なる被害を拡大する。言わば洪水の将棋倒し現象である。被害が想定以上に拡大するのは当然である。

大雨洪水被害は確かに自然災害である。だが、これは想定しうるもの。むしろ、これを無視した植林政策に問題はなかったのか…。そんな時、次のブログを発見した。




これを読んで納得。流木の大量発生原因が解る。近年の大規模洪水被害は、人災であることは明らかである。



このブログでも指摘されているように、河川工学の専門家が、植林そのものの問題点(杉の挿し木植林)に言及していないのは気がかりである。





この前の津波でも、流木被害が気になっていた。私自身の撮った写真を参考までに掲載しておく。貯木場から流れ出た巨木が暴れまわり、家屋を次々と破壊していったことが想像できる。
旧大船渡病院下 

 海岸からだいぶ離れた盛地区でもご覧の通り…

高台の字の森停留所にも丸太が転がっていた



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災害はさておき、これら大量の流木をエネルギーに転用できないものだろうか。ただ腐らせるだけではもったいない。素人考えだが、バイオマス発電に活用できると思うのだが。例えば、全国の河川下流域や河口付近に小中規模のバイオマス発電所を設ける。川や海岸の流木、近隣の町や森林からの廃材や間伐材等を有効利用する再生エネルギーである。燃料となる木材が周辺で採取できるわけで、石油・石炭のように地球の裏側から運ぶ必要もない。エネルギーの地産地消は、地球温暖化対策にもなるはずである。



現状の植林状態(戦後の植林政策によるものか…)では、洪水のたびに流木が上流から大量に流れてくる。これを現実として受け止めざるを得ない。当面の対策としては、洪水の発生直前に橋を破壊するのはどうであろうか。そのためには、洪水の予想される山間の小中規模河川には堅牢な橋は作らない。壊してまた作る方式の簡易橋梁にする。そして材料は流木を使うことで基本材料費はゼロ、如何だろうか。洪水被害よりも遥かに安くつくと思うのだが。古来、ヒトは自然の力をうまく利用してきた。水車、帆船、筏、水運、温泉等など…、橋もそういうことかな。

2016年11月9日水曜日

アメリカ大統領選 - 開票中

アメリカ大統領選が開票中である。

やはりと言おうか、トランプ候補が意外と善戦しているようだ。その背景を考えてみた。

ネットの出現によりグローバル経済が爆発的に拡大している。その結果、勝ち組・負け組がより顕著になり、中間層は縮小し貧富の差が拡大してしまった。

アメリカでは大量の不法移民により、一般の労働者は仕事を奪われる。一方、勝ち組は、不法移民を低賃金で雇うことで、一層の富の拡大を狙うことができる。同じ国民でありながら、自由経済の下に格差が益々拡大する構造をこれまで許容してきた。

だが人々の不満はいずれ爆発する。その思いが投票行動に現れているように思える。

まさか、トランプの勝利?

それを予想してか、上昇気味のドル相場が今朝一転、暴落を始めている。

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地球温暖化、大量難民、自爆テロ等これまで予想し得なしなかった地球規模の大問題、更には貧富の拡大。これらは一見別々の問題のようで、(詳細は割愛するが)根は一緒のように思える。自由経済の無制限な拡大を見直す時期に来ている。

地球上の経済システムは、クルマと同じだ。アクセルとブレーキで速度を調整して走行する。アクセルだけでは、クルマは暴走し危険である。適度なブレーキも必要である。

今、(狂った)世界経済に、ブレーキをかける必要がある。

国内においても、原発を再稼働させてまで、余分な物を生産し、輸出する必要があるのだろうか。工業品を輸出すればする程、国内には使用済み核燃料が蓄積されていくというのに…。最近、東京五輪に向けて「レガシー」とやたら使われている。旧国立競技場をぶち壊して「レガシー」というのもヘンな話だが、原発を再稼働させて、負の「レガシー」をせっせと作り出そうとしているのは嘆かわしい。
また、TPPは日本の伝統文化をぶち壊し、かつ地球温暖化を促進するツールと見た。

等など、おかしなことだらけ。キリがないのでこの辺で…。


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アメリカ大統領選の開票中。さて、開票の行方は…。

2016年8月9日火曜日

違和感…


猛暑にもかかわらず、エアコンは一切使用していない。加齢のせいか、ある時からエアコンからの不自然な冷気が腰を冷やし、不快感を覚えるようになったからである。そこで猛暑対策として、南面のベランダにはスダレを吊るして直射日光を防ぎ、南北のマドも常に開放して、室内に涼風が流れるようにしている。それだけでも結構しのげるものである。それでも、汗はジンワリと噴き出し、思考力も衰える。そんな時には、寝転びながらTVでも観るに限る。幸い、オリンピックや甲子園とチャンネルを切り替えるのに忙しい。

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この時期は、広島・長崎の原爆慰霊祭も放送される。ちょっと観るだけで、なにやら違和感を覚え、チャンネルを切り替えることが常である。原爆症で苦しむ被爆者も未だ少なくないようである。歴史の犠牲者であり、誠に気の毒としか言い様がない。

「戦争」は人々に無数の不幸をもたらす。現実を直視すれば、原爆の犠牲者は、大戦で亡くなった人々の一部に過ぎない。また、「原爆」は、非人道的兵器と主張されても、正直納得できない。当方は、「原爆」=「原発」との認識があり、「原発」を再稼働しようとする現状、「原爆」を否定する了見には納得できない。「原爆」をこの世から排除するには、「原発」も同様に排除しなければならないと考えている。原発を一年稼働するだけで、広島型原爆の千倍の放射能を発生するという。それを30年稼働すると、単純に考えても、3万倍の放射能を発生することになる。核種によっては、半減期も短いものから数万年と様々であり、単純ではないが、とにかく「核の平和利用」との立場で推進してきた「原発」の方が、遥かに大量の放射能を、適切な処理方法が確立しないままに、この地上に日々生み出されている現実がある。
また、「原爆投下」には、当時としては巨大な航空機も必要不可欠であった。飛行機なくして、原爆は目的地に投下できない。危険なのは「原爆」だけではないのである。伝統的な歩兵戦や大艦巨砲戦が、前の大戦からは、航空技術の進歩により、制空権が作戦上最も重要になった。無差別空襲により、人的犠牲者は飛躍的に増大したことも忘れてはならない。だから、ドローンなんかも、使い方によっては物騒である。AIと連動し、これはいずれ、将来の戦闘の主役になるに違いない。宇宙空間の争奪戦も現実的である…。

原爆投下の歴史的評価は、71年前の視点と今日とではだいぶ違ってきているようである。ちょうどマリリン・モンローの写真を、目尻の皺の個所を拡大し、実は彼女はシワクチャでブスだったと、彼女を見たこともない現代人が勝手に評価しているようなものである。やはり、歴史全体の流れを捉え、個人個人がそれぞれ評価していく必要がある。

戦争は言わば殺人ゲーム。無謀な戦争を始めたのはどっちか…。ゲーム終了後に、チャンスで満塁ホームランを打った相手バッターを非難することはありえない。その殺人ゲームを、一方的に始めた側が、戦後イチャモンをつけるのもどうかしている。問題は、無謀な戦争を始めたことが第一に非難されるべきである。

こういう視点で私見を述べさせてもらえれば、「原爆被害」の責任は、誰が考えても無謀と思われる対米開戦を決断した当時の政府(その4年前に勃発した日中戦争が泥沼状態にあるにもかかわらず…)であり、また敵空襲を許し国民を守れなかった国軍にあると言わざるを得ない。

後者については、それまでなかったコールサイン(部隊の識別コード)B-29爆撃機が、広島に原爆を投下していることを知りながら、長崎の時には同じコールサインのB-29の接近を5時間前に捉えていたにもかかわらず、司令部では戦闘機に出撃命令を全く出していないいい加減さ。また、真偽の程はわからないが、以前読んだ本で、原爆攻撃の予告放送(インドのデリー放送…)を捉えた海南島の諜報部隊が、司令部に連絡したにもかかわらず、有効活用されずどこかで握りつぶされていたという。このように、原爆攻撃に対する積極的な対策が、何らなされていないのである。
原爆投下ではないが、310日の東京大空襲。実は、その3ヶ月前、1130日頃から東京は度々空襲されていたのである。310日に突然空襲されたのではない。十分な対策のとれる猶予があったのにも係わらず多くの犠牲者を生んだ。軍は市民を守る対策を何もしていなかったと言わざるを得ない。

日清・日露の頃より、「戦争」とは言わば日本の文化であった。だから、「降伏」や「捕虜になること」は、悪だった。上官の命令に反抗すれば、抗命罪という、恐ろしい刑罰(死刑)があった。このような文化背景の国から攻め込まれたら、あとは100%勝つか負けるかしかありえない…。それが、前の大戦だった。


それから71年後の現在の視点で当時のことを評価しても、正直どこか違和感を覚えざるを得ないのである。

2016年7月28日木曜日

都知事選…

東京都知事選も終盤である。

時々選挙カーは通るが、街場に出ることもないので、街頭演説会を目にすることはない。そこで、YouTube動画を検索してチェックしてみるのだが、野党統一候補の鳥越俊太郎氏に対する誹謗中傷の類の物が多いので正直ウンザリである。内容はワンパターン。ネトウヨ?さんと呼ばれる方々が中心に、情熱を傾けておられるようだ。

そのなかで、まともな動画サイトを見つけたのでアップしておく。



東京都知事選-鳥越俊太郎氏 in 渋谷ハチ公前


応援に駆けつけた中に、TVでお馴染みの元キャスター杉尾秀哉氏も居られた。最近TVで観ないなと思っていいたら、長野県から出馬し、参議院になられていたのには驚いた。このままでは、日本はまずい方向に行ってしまうとの危機感から、一大決心をされたのは、今回の鳥越氏の出馬動機と同じなようである。

他の候補といえば、タスキ・ハチマキ姿。戦前の国防婦人会もどきファッションで、本性をごまかし?、精々愛想をばら撒いているように思える。その点、鳥越さんの普通のファッションは無理がなく、その人柄も感じさせてくれる。

ところが、民放TVの番組では、その点をネガティブに捉え報道しているではないか。なかには、出馬の動機が「参議院で安倍政権が勝ったからなので~都政と関係ねェーじゃん~」とXXキャスターが冷やかしていた。即ち、憲法改正は国政で、都政には関係ないこと、と言外に批判しているかのようである。

だが、ちょっと待てと言いたい。憲法改正で一番困るのは、大都市東京ではないのか。仮に、国境のイザコザから戦争に発展し、都心にミサイル攻撃されれば、停電で都市機能は麻痺するだろうし、流通がストップすれば食糧難になる。本当に困るのは、都市住民なのである。国政いかんでは、都民がモロに犠牲者になってしまうのである。「都政と関係ねェーじゃん~」の一言が、その人物の本性を露わにした気がしてならない。

同じジャーナリストとし、日本の未来に危機感を覚え立ち上がる者、あるいは批判する者。同じキャリアを経ても、考え方は様々なようである。


憲法改正で一番困るのは、都市住民の他に、報道の自由を実質失うジャーナリストであるということも忘れてはならない…。

2016年7月24日日曜日

明治時代が日本の目指すべき体制か…?


明治維新は、薩長の下級武士を中心とし、尊王派の貴族や若者、それに外国の武器商人等が結託し起こした、いわゆる軍事クーデターではなかったのか…。(歴史についてはド素人の見解ではあるが。)

維新までの過程はどうあれ、多くの国民がそれによって長期にわたり幸せになれればよいのである。で、現実はどうだったか。

富国強兵策にともない産業が急速に発達するが、鉱毒問題などの公害や劣悪な労働条件の問題は無視。貧富の差も拡大…云々。そして大陸に権益を求め、戦争・戦争のオンパレード…。結局80年にも満たずして、内外に無数の犠牲者を生み、主要な都市はことごとく空襲で焼き払われ、崩壊してしまった。この僅か人の一生程度の期間で、一般庶民は江戸時代より幸福だったのだろうか…。

さて、憲法改正問題に戻るが、自民党の憲法草案を見ている限り、多くの人々を不幸に陥れた明治・大正・昭和の戦前の社会を一つの理想形としているように思える。何故、あの不幸な体制に戻ろうとするのか、歴史が証明しているのにもかかわらず…。

草案は一つのたたき台で、これから議論するということだろうが、本音は変わらない。ちょっとでも隙をみせると、とんでもないことになることは明白である。

大阪冬の陣で、豊臣方は和睦に応じ、大阪城の外堀を埋めることに同意する。だが、内堀までも埋められてしまい、城の防備が弱体化。夏の陣で豊臣家は滅んでしまう。「アラブの春」でも、民主化どころか、イスラム原理主義派が選挙で勝利し、以前より酷い状況に陥っている。かくの如く、改憲のドサクサに便乗し、とんでもない社会に変容するとも限らない。

国内の改憲運動も、(ネットで調べた乏しい知識であるが、誤解を恐れずに言えば…)神国日本を理想?とする、言わば日本版「原理主義派」が中心となっているように思える。

休日に、国旗を掲揚する家があるかな…。昔は結構見られたものだが、最近は見た試しがない。いわゆる、日本版原理派の人は、周囲にはなかなか居られないレアなお方と思って間違いない。そういう方々が、改憲運動の中心勢力になっていることを、一般国民はどこまで認識しているのだろうか…。

国民は、権力者の本音を知らず、美辞麗句もどきに弱い。満州の「五族協和」、戦時中の「戦争は文明の父…」とか、原発では、「核の平和利用」、「安全でクリーンなエネルギー」、最近では、「美しい日本」、「美しい憲法…」とか。一体何をもって美しいのか、要注意である。将来、原発からの放射能で汚染されることが美しい日本なのだろうか。


現実は、油断も隙もないのである…。

2016年7月18日月曜日

平和憲法改正の愚、歴史的証言からの考察…


 一党独裁政権巨大国家は、国内矛盾が拡大し、いずれは自壊分裂するだろう…と思っている。

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日本の平和憲法を改正し、周辺諸国に警戒感を与えることは、寧ろ相手国政府にシオを与えるとも限らない。自壊するどころか、反日敵対感情が高揚し、巨大大国は一層強大化、凶暴化する恐れがある。

我が国の歴史でもそんな例がある。倒幕に成功したものの、いつ倒れるとも知れぬ明治新政府である。安定化するのは日清戦争前後からのようである。

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日清戦争前後の庶民感情について、生方敏郎(明治15年~昭和44)が、「明治大正見聞史」(大正15年作)で、次のように記している。戦争の前後で、国民感情が如何に豹変するか興味深い証言記録である。

「日清戦争(明治27-28)になるまでの私の周囲はことごとく反明治新政府の空気に満たされていた。」

「沼田地方(群馬県、彼の出身地)の子供の遊び、~平家と官軍になることが大変屈辱と考えていた。」

戦争勃発前は、テロ、反乱、内戦のオンパレード、そして自由民権運動の広まりと、地方には未だ反新政府の空気が充満していたようである。

また、戦争が勃発するまでは…

「私たちはこの戦争(日清戦争のこと)の始まるその日まで、支那人を悪い国民とは思っていなかったし、また支那に対する憎悪というものを少しも我々の心の中に抱いてはいなかった。」

「その時まで、私達が見た物聞いた物まで、支那に敵意を持つか、支那を軽んじたものは、ただの一つもなく、支那は東洋の一大帝国として見られていた。」

と、一般庶民は中国に対して概ね好感を抱いていたのである。

ところが、戦争勃発により一変し、中国に対する国民感情は悪化する。国民の関心は、国内問題から戦争に向かうのは当然。皮肉なことだが、それまで不安定だった明治新政府の基盤が、開戦により愛国心が高揚し、固まったようである。

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その後、戦争、戦争…、そして我が国が辿った運命は皆ご存知の通り…。

日清戦争とは立場は逆になるが、平和憲法を改正して周辺諸国に危機感を植え付けることは、如何に危険なことか認識すべきである。

矛盾をいっぱい抱えた大国はいずれ自壊する。ソビエト連邦然り、東ドイツ然り、ユーゴスラビア然り…。EUもこれに該当か…?!黙ってなるべく刺激しない方が、寧ろ賢明である。


現行憲法の改正は、周辺国の独裁政権にとんでもないシオを贈る世紀の愚行になるとも限らない。

閉塞状況でガタガタの政権にとり、仮想敵国を創りだし、不満を抱えた国民の怒りを外に向けさせるビッグチャンス。日本の改憲に、彼等は内心ニンマリしている筈…。この機に乗じ、芽生えたばかりの民主化勢力を一掃し、独裁を一層強固にするだろう。

先日発生した、世俗派軍人によるクーデターが失敗したトルコを見るがいい。危機に乗じ、現職大統領は、世俗派?官僚・軍人らを捕らえ、イスラム化政策を更に強硬に推し進めようとしている。クーデターの失敗は、結果的に独裁者にシオを贈ったようなものである。

2016年7月15日金曜日

憲法改正、実は売国…!?

自民党の憲法草案は、皮肉にも国力低下を狙った内容とみた…。以下に簡単にまとめてみた。

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1. 防衛軍の創設や日の丸・君が代教育を徹底させることで、近隣諸国を刺激することは間違いなし。益々軍備増強に。赤字国債は更に膨張、重税、福祉サービスの後退、云々…。(3条、9条、66条…)

2. 防衛の為の戦争…。天皇を「元首」に祭り上げ、国際紛争の最高責任者に仕立てようとしているようにも思える。一歩誤れば、天皇は戦犯に問われるとも限らない。本当の責任者は雲隠れ…。こんなフザケタ内容で良いのか。(1)

3. 良識ある家庭は、日の丸・君が代教育を回避し、子供たちを海外留学させる。言わば、頭脳の早期流出→国力の低下に。(3)

戦前と異なり、今はだれでも留学できる。教育のグローバル競争を自民党はご存知ないのでは…。


4. 個人情報の不正取得や使用を厳しく規制。ジャーナリズムは機能不全に。国内は腐敗が横行する社会に(現在の中国化…!?)。また、「海外における諜報活動」も憲法違反に。国際情報戦争で、日本人の手足を縛る自虐的内容…。(19)

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平和を乱し国力の低下を意図した憲法…!?


考えてみれば、自民党の支持母体の一つは経団連。東証の外国人株主比率が3割越え。経団連を構成する企業は、言わば皆「外資系大企業」!!

確かに、経団連は、自民党同様に「原発の再稼働」や「TPP」を支持している。国の将来より目先の利益…。国の平和を乱すことで、武器や物資の手配で、大企業は潤うこと間違いなし。いずれ、国内は(戦争やテロで原発が破壊され)放射能まみれ、安い農産物の輸入で食料の自給率は一層低下、中小企業や社会サービスはグローバル企業により淘汰…。大企業には、いずれもウハウハのビジネスチャンスである。


「愛国」のつもりで起草したのだろうが、信じられないことだが、寧ろ国力の低下を招く内容とみた。まさか「売国」…!?

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自分自身を回顧してみて、仲間同士の酒の席で「政治」について議論することは無かったし、公に訴えることもなかった。普通の日本人なら、皆同様かと思う。しかし今回、参院選前に憲法草案をチェックし、初めて危機感を覚えたのである。改憲問題は、国の土台であるだけに、自分の考えを公にし、多くの人に真剣に議論する契機になってくれたら幸いである。

でないと、(低い投票率をいいことに…)知らないうちに徐々に周辺から切り崩され、気づいた時には手遅れとなりかねない。目先の不都合に怯えてか、国内のマスコミもあまりにも頼りない。個人個人が日常生活で議論し、認識していく他にはなさそうである。


「アラブの春」で民主化を求めて独裁者を追放したエジプト等の中東諸国…。その後の大統領選でアラブ原理派の候補者が選ばれ、独裁者を追放した時よりも民主化が遠のいた。その後、慌てた軍がクーデターを起こし、現職大統領を追放したのは皮肉である。

日本も改憲を機に、当たり前の平凡 (=平和)な生活が奪われるとも限らない…。